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おくびょうもんさんへ

2002/7/6 ウナギ犬、20代、無職

 どうなんでしょう、私にはあなたの意見には賛同しかねる論理を感じてしまうのです。
 私は芦部教授なる人物の言葉は知らないのですが、両輪というからには「前に進む」ことを前提としてるのでは…と思います。
 そして2つの車輪の大きさが同じになって直進することが出来ることから、自由主義と民主主義の両者は等価値に憲法にとって尊いものなのだ、ということをその教授は言いたかったんだろうと思います。
 おくびょうもんさんが言うように、両者がお互いに牽制しあって上手くゆく、ということを彼が言いたかったのであれば、「椅子の脚」とか「シーソー」などを例えにあげたのではないでしょうか。

 また私は、今の世の中では自由主義や個人主義が、しばしば利己主義と混同されているように感じます。
 私は「わたくしの自由」が「他人の自由」を奪ってしまったらそれは自由主義だとは思わないし、個人主義と全体主義は世の中をミクロ・マクロに見るという視点の違いを表してるだけだと思うのです。
 それが個人のエゴと、支配者側の論理で捻じ曲げられてるように思います。
 例えば他人の迷惑を省みない自分勝手な行動を、「個人の自由」というのは自由主義ではなく、それぞれの人間のエゴにすぎません。
 また少数の権力者が決めたことを全体に強いて、それに従わないものを罰するのは「恐怖政治」であって「全体主義」ではないでしょう。
 自由主義や個人主義がゆきすぎたからではなく、エゴによって捻じ曲げられることによって迷惑な事態が起こるのです。
 そしてそこを支配者側につけこまれ、「ゆきすぎた個人主義を全体主義で補正する」とか「ゆきすぎた自由は管理しなければならない」といった論法が出てくるのだと思います。

 私はそれぞれの個人が、自分のエゴを自制してこのすり替えに対抗しなくてはいけないと考えます。
 自分の自由と他人の自由は等価値だということ、「個人」は「私」ではなくそれぞれの人間なんだということ、その認識が守られて初めて自由主義や個人主義は輝くことができると思うのです。
 自由主義と民主主義は抑制されるのでなく、発展・進歩することで憲法の理念が世の中に生きてくるのだと思います。