内容の充実したビラを個別配布していても、暑苦しく感じられるのは、「余白」がないからです。
「余白」を活用しないのが、共産党のビラ(特に全戸ビラ)の悪しき伝統です。
余白があるとなにかもったいないと感じるのでしょうか?
「貧乏性」というのか「余白恐怖症」といったらいいのか。
「余白で勝負する」という構えがないと大見出しも小見出しも生きてきません。
どんなすばらしい内容の文書をかいても、コストパフォーマンスは悪くなります。もちろん「余白」があればいいというものではありません。
誤解を招くいい方になりますが、「謀略ビラ」「怪文書」のたぐいを参考にすれば、ファイトもわいてくるかもしれません。