長文の論文が必要かもしれないが、時間的余裕がないので簡潔に。共産党はさきごろ4中総を開き、80周年の演説会を催した。大きなテーマは二つの世紀と日本共産党であるが、そこで誰も80年史を準備していることを予告していないから、4中総決議と不破演説で5年ごとに出版してきた党史にかえようというものだろう。特に不破演説は、支離滅裂で、病気すら推測させるものになっている。戦前では、党の活動の目標は「天皇絶対の専制政治から、国民が選ぶ議会を中心にした民主的な政治体制に転換すること」だというのだ。「赤旗」の解説でどこにそんなことを主張した党文献があるのか提示してもらいたい。綱領草案、27年テーゼ、32年テーゼ。なぜあざ笑うかというと、この主張は、もっともふさわしいのは吉野作造である。吉野作造のやったことを持ち出して、これが戦前の共産党の活動でございますとは、天皇制打倒の民主主義革命まで突きすすみ、あたら命を奪はれた多くの先輩は浮かばれまい。
戦後の党活動でいろいろな批判はあっても胸をはれるのは、一貫してアメリカのアジアにおける戦争政策と戦ってきたことだと思う。朝鮮戦争時などは中央部ではいろいろな思惑があったが、軍用列車や武器工場に火炎瓶を投げた軍事部党員を含めて、これ以上殺戮は止めてくれというせつなる願いがあった。戦後の党を支えつづけた平和への希求を軸に戦後の党活動の役割を述べないのか。まったく理解に苦しむ。綱領論争で、独立か社会主義化という不毛の論争が続いて、独立はが勝利したといういきさつは誰でも知っているが、安保、日韓、ベトナム、沖縄という戦いの流れの中で、従属国化に反対し、独立のために戦ったという実感をもっている方は心境を教えてほしい。日本を舞台にした、日本を巻き込んだ戦争させないぞという国民の決意の現れだというのが私の実感だ。
管理人さんとは意見が違って、22回大会は憲法の完全実施を通じて社会主義へというイタリア共産党を学び、10代に漠然と思い始めた路線がようやく大会で認められたという思いがあり、基本は賛成ですが、それなら平和民主の日本をつくるために戦ったというのが素直な評価でしょう。民族独立行動隊という歌がありますよね、決起せよ南部の労働者。あの歌を聴くと、歌われはじめると、渡辺政之輔や川合義虎や平沢計七が違う違うと叫んでいるような気がいつもしていた。