投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

ダム行政について。 かわたろうさん、お久しぶりです

2002/8/21 ウナギ犬、20代、無職

 ようやく時間が取れたので、久しぶりに投稿させていただきます。
 かわたろうさんの投稿が沢山掲載されていたので、拝見させて頂きました。
 さすが関係者というか、細かく説明されていて納得できる部分もありました。
 かわたろうさんを始めとする多くの関係者の方々が、自身の仕事に責任感を持っていることも理解できました。
 しかしながら、全部を納得できたわけではありません。
 確か新聞で見たように思うのですが、政府はこれからも全国に130程度のダムを建設しようとしているのだとか…私は、本当にそんなに作らなくてはいけないのかどうか、真剣に疑っています。
 高速道路計画のように、まず「造る事ありき」で進められているのではないか、その疑念を捨て去ることが出来ません。

 私がかわたろうさんの説明の中で気になったのは、ダムの建設計画や放流の仕方についてなど、「綿密に計算し計画を立てている」というのですが、それはやっぱり第三者機関に調査してもらわなければ正当性が疑われるのではないでしょうか。
 個々の点について詳しく説明してくださるのはいいのですが、「第三者機関に調査させる」とか「なぜアメリカでは水質汚染を防ぐ法律でダム建設が中止されるのか」とか、核心的な部分においては言及を避けているのが気になります。
 もしも答えられる範囲を細かく説明することで、議論上のイニシアチブを取ろうとしているのなら、申し訳無いけれども私はちょっと議論に不毛さを感じてしまいます。
 私の下司の勘繰りだとしたら、本当に済まなく思いますけれども。
 本当にダム建設は、他の無駄な公共事業のように、一部の人間を食べさせるために予算の多くをつぎ込んではいないのでしょうか。
 どうか真剣に答えて欲しいと願います。

 次に、個々の点について反論します。
 かわたろうさんは「吉野川第10堰は、今ある堰を可動堰に変えるだけなのに何故反対するのか」と言いましたが、確か私の記憶違いでなかったら、その堰はゆったりとした階段状の河床で造られた堰ではなかったでしょうか。
 あの堰を普通の、水を貯めるための堰と同じように言及するのは、堰の実態を知らない人に対してアンフェアだと私は思います。
 私にはあの堰は、自然と見事に融合している、良い人工物の見本のように思えるのです。
 ダムも堰も浚渫も、全てを含んだ利水・治水計画が必要だという意見には私は賛成です。
 でも、最も現在注意しなくてはならないのは、そういうことが建前上の目的になって、実際は関係者の職を保護することが目的になってるのではないかということです。
 この疑いを晴らす努力として、やはり第三者に査定してもらうことが必要だと私は思います。

 下流にヘドロを流す問題ですが、私がテレビで見たのは、かわたろうさんの言及していた6年物とは別の物だったように思います。
 ちょっと記憶が不確かですみませんが、半年ごとぐらいに放流してたように思います。
 かわたろうさんの言う通り、確かに水質汚染を防ごうという努力はしているのでしょう。
 でも私は、テレビで見た下流の漁業民の怒りや不安が、狂言や錯覚とはとても思えないのです。
 ダムはおそらく、「あればあるほど良いもの」ではなくて、「必要とあれば造るけど無いにこしたことはないもの」なのではないでしょうか。
 今更ながらお聞きしますが、かわたろうさんにとってのダムとはどちらでしょう?

 ダム建設の計画が、何十年と変わらないケースについて、「いつまでもダムが出来ないと、そういう地域形成になってしまう」というお答えも、私には納得できませんでした。
 経済成長も人口増加も右肩上がりの状況下で作られた計画なのだから、現在とでは電力・水の需要の実態とは相当開きがあるはずです。
 ダムの必要性そのものが問われるべきなのに、その目的だけが二転三転して、ダム建設だけはするというのは、明らかに不合理だと私は思います。
 やはりこれは、公共事業が一部の人間を養わせるために行われている害悪だと思うのですが…

 私がかわたろうさんの意見を聞いて、反省しなければならないと思ったのは、私が考えてる以上に、ダム行政に関る人の中には真剣に携わってる人たちが沢山いるんだな、と思ったことです。
 おそらくそれは、ダムだけでなくて、道路や橋や、全ての公共事業についても言えることでありましょう。
 しかし企業が経済社会の中で生き残ろうとするように、公社が生き残ろうとするのは間違いではないか、とも思いました。
 必死に頑張っている、その人間たちの努力と、本当にその事業が必要なのかという問いには、残酷であるかもしれないけども、本質的に関連性はないのではないでしょうか。
 今の日本は、本当に借金まみれの国になってしまいました。
 その原因をさかのぼって考えたときに、やっぱり個々の公共事業の必要性についても考えざるを得ません。
 借金まみれで不況で、失業率の高い今だからこそ、「生き残りたい」と思う気持ちもいっそう強くなっているのでしょう。
 今更言ってもしょうがないことですが、ここまで状況が悪化する前に、借金を生む土壌を改め、貧乏でも人間らしく生きて行けるような社会を作っておけば良かったのに…
 今からでも、真正面から問題点にとりくむような姿勢で政治が行われれば、まだましな社会が作れるはずです。
 今のままでは、借金に押し潰される人々の運命を大量生産しそうな勢いで、私は非常に不安です。
 最後は脱線してすみませんでした。