ichitakeさん、公務員給与に関する拙稿読んで下さり、ありがとうございます。実は、拙稿は読者の多くに違和感を与えるだろう、と思ってはいましたが、ichitakeさんから反応があったのは、ちょっと意外でした。というのも、ichitakeさんの投稿は、折にふれて拝読しており、新社会党を離党されたいきさつも大体承知していました。公務員給与引き下げには基本的に反対のお考えかと、思えたからです。
それはともかく、今回の貴方のご意見自体は私も理解できるので、反論ということでなく、私自身の考えを少し補足致します。
①マスコミと“世論”
人事院勧告についての“世論調査”はまだ見かけませんね。マスコミにとっては、これは地味な問題で調査対象にするほどではないと思っているのかもしれません。もし、次期国会で政治問題化すれば別ですが…。従って、新聞論調の傾向が調査数字に反映するかどうかはいま証明できません。しかし、仮に「民間賃金が下がっているのだから公務員給与も下がって当然」という設問があれば「賛成」が多く、「景気回復のために据え置き」の賛成は少ない--と、私は見通します。もし、調査が実施されたら、お互い注目しましょう。それにしても、あれだけ調査があるのに、私自身が調査を受けたことはありません。おそらく宝くじ並みの確率でしょう。
一般に私たちは、政治問題も含めてあらゆる社会事象を直接、体験・見聞する機会は微々たるもので、おそらく情報量の99.9%以上をマスコミを通じて得ています。その意味でマスコミ報道が“世論”に反映するのは、むしろ当然と言えるでしょう。時にはマスコミ報道自体が“世論”であるかのように受け取られるし、マスコミ側もそのように自負しているのでしょう。しかし、最近の世論形成の過程には、いささか異常なものを感じます。
単純化していうと、かつて東西冷戦構造の時代には、マスコミ論調をそのまま受け入れない層が比較的多かったと思います。東側贔屓であれ、西側寄りであれ、モノを考える基準があって、それに合うかどうかマスコミ側にも、受け手側にも一種のバランス感覚がありました。しかし冷戦後の90年代から、マスコミの価値基準がもっぱら“善玉”“悪玉”の二つになりました。善vs悪である限り「これが善玉」と言われれば、受け手は一斉にそれになびくし、“悪玉”とされた方には一斉攻撃が掛かります。しかも善/悪というのはかなり主観的なものですから、マスコミ報道自体がよくブレます。 たまたま、朝日新聞(20日)に「鈴木宗男事件と政治報道」という特集記事が載っていました。その中で朝日編集委員が「小泉首相にしろ田中真紀子氏にしろ、最近のメディアは虚像を作って、後でその虚像を壊すことを繰り返している」「一連の真紀子報道では神経を使いました。少し批判的に書くと新聞社の電話が一日中鳴っているという状態でしたから」と述べています。マスコミ側自身の率直な弁として、面白かった。
我流のマスコミ論はこれぐらいにしておきますが、私自身はマスコミの善悪区分は全て一応疑ってみることにしています。従って、世論調査で最少数意見に同感することがよくあります。
②公務員の効率と賃金
今回の各新聞社説の中に「民間の厳しさ、競争原理を公務員に導入しないと改革は進まない」(毎日)、「各省庁横並びの年功序列型賃金管理を脱し、能力や業種に応じた処遇を、積極的に行う必要がある」(読売)といった主張があります。こういう空気を受けて、人事院勧告も「厳しい経営環境の下における民間企業の近年における賃金制度見直しの取組等を十分に踏まえつつ、各府省において年次・年功にとらわれた運用に陥ることがないよう、職員の職務・職責を基本とし、その能力・業績等が十分反映される給与制度を構築していく必要があると考える」と書いています。
しかし、そもそも、現状の公務員労働の質量や、その集積としての行政サービスは、それほどレベルが低いのでしょうか。出典は忘れましたが、日本の一般公務員数(人口比)は先進国中でも少ない方だという統計がありました。80年代まで日本の行政組織の優秀さを誇るような報道もありました。ここ10年、経済停滞が続いているからといって、それが急に変わったとも思えません。
給与体系にしても、最近は官民を問わず、旧来の日本型の弊害ばかりが強調されています。しかし、一般に「年功序列型」にしても、勤怠や能力差を無視して全員が一律に昇給するほど単純な悪平等システムではありません。同期のサラリーマンでも、生涯賃金で大差がつくことは、みなさん、ご承知の通りです。公務のようなタイプの労働に対して、何かのセールスマンと同じように短期間の「成績」で給与を査定するのが、よいとは思えません。
新聞社説にこんな表現があります。「国家公務員の質の維持・向上を考えるなら、待遇をただ下げればよいというものではなかろう。だが…」(朝日)、「公務員が強い責任感と使命感を持って国民のために働く安定した環境をつくることは重要だが…}(産経)。後ろに「だが…」が付いているところが問題です。私は労働の質や意欲を高めるために、賃金体系をいじって刺激しようとするのは下策だと思います。
大事なのは雰囲気でしょう。行政不祥事の暴露もあって、大衆レベルで「役所の窓口が横柄だ、だらだらしている」「彼らは税金で養われているのに」といった類の冷たい空気が、ここ10年ほど充満していることが、公務員のやる気を削いでいるかもしれません。私自身は、横柄やずぼらな人間はどこにでもいると思うし、人を養うほど高額の税金は納めていないので、気にしませんが。
私は公務員の弁護人ではないので、掲示板読者に公務員がいたら後は続けて下さい。国公労連サイトにもいろいろ書いてあります。それにしても、この問題の当事者である公務員側の意見に触れた新聞社説は(私が調べた限り)一件も無かった。このような一面的な評論を書いて、高い給料をもらっている(のでしょう)新聞社の論説委員というのも、結構な商売ですね。
③共産党と世論対策
前投稿で私は、共産党(や社民党)が大衆に直接呼びかけてほしい言葉を書きました。多くの人には違和感があるでしょう。しかし、人勧実施に反対することは、実は大衆に向かってあのように言うのと同じ意味だ、ということに共産党(社民党)自身が気づいていないのではありませんか。
政府を批判するのは容易です。機関紙の読者や党講演会に集う人は、自分たちの仲間です。仲間に向かって仲間言葉で語りかけるのも簡単です。それでは支持は外に向かって拡大しません。テレビ討論会を見ても、私は飽き飽きしています。
党外の反対者に対して、野次られても、石を投げられても、説得しようという気概を失っているのではありませんか。もし、私が提言したようなことを、共産党が実際行ったら、マスコミは喜んで取り上げるでしょう。都合の良い時だけ“世論”に乗っかるのではなく、常に世論をリードする気構えを、共産党に期待します。