みちじろうさんの批判にどうお答えしようか迷いました。ご指摘のように「奴隷根性」などといったわたしの表現が、みちじろうさんはじめ読者のみなさんの神経を逆撫でしたであろうことは理解でき少し反省しています。
だけれども、みちじろうさんのわたしへの批判は、わたしとは比較にならないアンフェアな内容であると思え腹が立ったことも事実です。
性急な批判の応酬では変革の多数派形成の妨げにしかならないと考えますが、しかし出来る限り穏やかに合意形成を進める立場からではあるけども、ハッキリと意見を表明することにしました。
わたしが、この掲示板でも一貫して意見表明しているのは、公務・公益労働が効率よく国民の役にたっているのか必要なのかという構造問題を提起しているのであり、その中での公務労働・準公務労働がその質と量から考えて、特に年功序列賃金制を中心に、妥当性を失っているのではないか、そしてそうであればその廃止あるいは是正によって総額としての人件費も抑制され、もっと必要な社会保障に予算として配分でき財政危機の回避にも多少なりとも役立つのではないかとの問題提起をしているのです。
総じて、日本の官僚制そして公務労働のあり方の問題と定義してもよいと思います。
こうしたわたしの意見に対してみちじろうさんは、わたしが「公務員はみな怠けているから賃金を引き下げろと考えている」と批判というか事実をねじまげて非難なさいます。そして、「公務員はみな高給取りではありません」「若い一般職員は年収300万円程度で働いている」とおしゃいます。若い職員の年収300万円が民間のとりわけ不安定雇用勤労者と比べて「程度の」などと言えるかどうかは別として、公務員の若年層が相対的に低い給料にとどめられているのは事実です。しかし、これはむしろ、わたしが指摘する年功序列賃金制の弊害ではないのでしょうか。まして、わたしが「公務員はみな怠けていると考えている」などとおっしゃるのは言いがかりでしかないと思います。わたしが言いたいのは、公務員全体が高給取りかどうかではなく、官僚・公務員のために社会的に不必要な労働が組織され、しかも労働の質と量から考えて相応しくない給与待遇が年功序列制を中心に組み立てられているのではないか、ということです。キャリア組に対しては「引き下げる必要があることは論ずるまでもない」と気楽におっしゃいますが、キャリア組の言い分も聞いて大いに論じなければ・・・(文字化け)・・・。
さて、みちじろうさんは、次に年功序列賃金の擁護にまわります。
みちじろうさんは、「年功序列賃金はいちがいに否定すべきでない」と論を展開されます。その理由は、「長期の職務経験が仕事の向上につながっていく」からであり、「公共サービスの評価はセールスマンを評価するように簡単ではない」と民間差別をし、「公共サービスはたくさん働くことがよいこととは限らない」とまたも看護師さんを引合いに出し、「業績評価はよい結果をもたらさない」と民間のミドリ十字の事例まで動員なさいます。
わたしは次のように主張反論します。
1) 高度経済成長の時代と違って現代における「年功序列賃金制」は、経済的にも国民生活的にも百害あって一利ないのではないでしょうか。
2) 年功序列賃金は、同一労働同一賃金に反し、若年層の低賃金や下層不安定雇用層の劣悪な労働条件を作り出し固定化する一因をなしているのではないでしょうか。
3) 年功序列賃金制は、中高年のリストラ解雇の原因ともなっており、更に再就職の妨げにもなっているのではないでしょうか。
4)そうした社会的な矛盾と犠牲の上に胡座をかいて、公務員層を中心とした一部の安定雇用層のみが排他的に特権を享受しているのではないでしょうか。その制度によって支払われるお金は税金です。
5) 年功(=経験と学習と言うべきでしょうが)による仕事の質の向上は、それ自体として評価されるべきなのに、なぜ、みちじろうさんは「味噌も糞もいっしょくたに」年功序列を擁護なさるのでしょうか。
6) 業績評価をしたときに、「評価の目的の妥当性」や「評価の視点が管理者にあることの危険性」は、勿論、あります。ここに闘いと民主化とわれわれの政府の規制そして競争が必要になるのです。それは「民間のセールスマン」でも同じです。公務労働のみを特別視しないでください。民間「セールスマン」を差別しないでください。
仕上げにみちじろうさんは、わたしの価値観を一方的に決め付け批判なさいます。
「ichitakeさんは、どうも自民党や財界よりも公務員が憎いのではと思う節があります」
ご指摘のように、わたしは、国民と国の危機を招き、国民多数の苦境を横目にしながら、特権に胡座をかいて恬として恥じない自・公・保与党政権、そして政府官僚公務員準公務員制度、そして無能な財界中枢部を憎んでいます。これを変えたいと思います。
こうした「想い」が、「偏見を持つ」ichitakeの特殊な感情であればよいのですが、国民の多数はどうなのでしょうね。変革を目指すものはここに敏感になりたいものです。
そして、みちじろうさんは、わたしichitakeが「悪」を糾弾するだけで、今の構造(官公需契約制度や中小企業の置かれている立場など)を変えようとしないことこそ「現実の奴隷」ではないかと批判されます。しかし、変えようとしていないってどうして言えるのですか。わたしの事実を何もしらないままにこういう批判(非難)をしてもよいのですか。難しい問題はありますが、最低価格制度なんてことは当然の要求で、資本家側?の中小零細企業団体でさえ、あらゆる機会を通じて主張し闘っています。そんな事実も知らず「一般競争入札」や「予定価格の公表」をもって改善されてきているなどとおっしゃるのは、社会を知らない戯言でしかありません。*機会があれば詳しく説明します。
こんなことを言わなければならないことが哀しいのですが、嫌われ仕事をなくすことも覚悟して発注元の官公庁・公益法人にもわが社は申し入れています。
社会変革を目指す仲間としてみちじろうさんに言いたいことは、自分の責任で、自分の言葉で語ってください、ということです。
先回は看護士を引合いに出し、今回は公務員の若年層を引合いに出し、そして「昼夜を問わず不当解雇と闘う」地区労の活動家のことを引合いに出して、わたしと「噛み合わせます」が、あなたはどこにいるのですか?こういうやりかたはやめませんか?
そもそも、この議論のはじめは、野党共闘消極派・革新共闘消極派の人々そして革新政党が、社会保障と名がつけばどんな見直しにも反対、公務員給与の見直しにも反対という立場から、(この掲示板でも)共闘に消極的で多数派形成に消極的であることに対し、変革の多数派形成の立場・現実的な勝利を獲得し変革を実現する立場から、わたしやバビロンさんが、日本の民主主義の前進・官僚制との闘い・公務員などの労働と特権と給与制度の見直しの必要性も、そして他の野党や勢力の主張と存在も、予め拒否すべきでないとの考えから主張をはじめたものです。