8月9日の本欄に、週刊金曜日について、すばるさんと藤原欣也さんのご意見が掲載された。すばるさんは、郵政民営化にともなう激しい政府当局からの合理化攻撃の前に、労働者の党が批判しなくてどうするのか、というご意見である。至極もっともな印象をもった。
一方の藤原さんは、7月26日号第421号に掲載された深津真澄氏の「結党80年を迎えた日本共産党選挙に生命吹き込む力を評価」という1ページまるごとの政治欄に、賛意を表している。
私は、ふたつの投書を読み比べ、すばるさんは、本誌21号で批判された6月14日号の「首相・族議員なれ合いの民営化路線」山本信一氏の文にもとずいて批判されていると感じた。再度読み直した。すばるさんが批判するとおりである。山本論文は有事・健保・個人情報・郵政など5人の論者による内閣批判特集の一環である。他の論者に比べても、本誌編集部とすばるさんが批判するのは当然なくらい矛盾が多い。で、他の論者の文章は批判されるように、私には思えなかった。
本誌編集部が取り上げた4月26日号第409号も眼を通した。岡本篤尚氏の「市民の自由と安全を踏み潰す戦争国家へ」がそれ。問題にされているDV規制法やストーカー規正法の位置づけは、市民監視や統制法制の一部に取り上げられ、「もともとはテロ対策や治安維持を目的として制定されたものではない。しかしながら、ひとたび有事法制が発動されたならば、それらはテロ対策・治安維持法制の一部としてその中に組み込まれ、市民を監視し統制するための道具となる」と記述されている。
以上駆け足で見てきたが、やはり私は週刊金曜日を批判することは大切だが、個々の論文批判をきちんとせずに、金曜日全体について論評することは難しい作業だと想う。それぞれの立場があり、そこからしか考えられぬわけで、私が私見を押し付けるものではない。私も私の視点でしか思考できていないのだから。全体を通すと、藤原欣也さんの意見が私には共感を覚えた。