私は必ずしも日本共産党の全面的な支持者とは言えませんが、期待しています。もっとも評価する点は、善きにつけ悪しきにつけ、「原則的である」ことだと思います。
言いたいことは以下のことです。批判は公正であるべきだし、批判的揶揄的比喩は適切でなければならない。
あなたはこう書きました。
「相手が日本やアメリカやかつての韓国なら居丈高に対応し、相手が中国や北朝鮮だと借りてきた猫のようになるこれまでのような対応では国民の信は得られない。」
しかし、「革新政党」として、中国の文革路線にも、北朝鮮の「主体思想」にも、共産党は厳しく批判的で、中国共産党とは最近関係の改善がなされつつありますが、かつては一種絶交状態だった。北とも同様、「友党」関係などとっくになくなっているはずですね。
かつて、文革最盛期、中国は、「アメリカ帝国主義、ソ連社会帝国主義、日本軍国主義」と並べて、「宮本修正主義集団」を敵に数えていたこともあったはずです。その対立は自民党以上だったかもしれません。
だから、「借りてきた猫のようになるこれまでのような対応」とは比喩として適切ではないでしょう。
なお、私も「らち問題」の解決を願うとともに、朝鮮半島の平和的統一と、歴史問題の解決をともなう日朝関係改善を望むものです。小泉訪朝をめぐる「さざ波通信」等、読んで考えたい。
最後に上の引用冒頭の「相手が日本なら」という言い方も大いに違和感を感じます。あなたは公務員とのこと、私もそうです。しかし、例えば窓口に来る市民に「お前が相手にしているのは「日本」(県、市、その他)なのだぞ」というような意識を持つような公務員がいたら、おかしなことではありませんか。わたしたちは皆(共産党員であれ、自民党員であれ)、日本を構成する一員ですね。