少し前に、私は、敗戦の日を、「終戦」と表現する(共産党もしかり)不思議を指摘した。
この言い換えの根拠は?と探していたところ、見つけた。心がけていると、いつかは見つかるものですね。それは、本日つけの毎日新聞でした。
9/17「メディヤを読む」から引用;
作家のの野坂氏がNHKの「人間講座 終戦日記を読む」で、「8月15日は、玉音放送の日でしかない」と断言。この詔勅には一言も「敗戦」の言葉はなく、暗にこれを伝える語句もない、と語る
*****服部立教大教授 ---米国の911追悼と憎悪--
日本を除く世界中退くには、当時、日本の無条件降伏=敗戦と言ったし、今もそういうだろう。にもかかわらず、昭和天皇は、”私はそう思わない”=「敗戦」したとは思わないとした(上記の詔勅)し、今日でも、共産党も含めて、新聞各紙は、「終戦」と言う。
このような、主観主義(私はそうは思わない)は、小泉単純一郎首相に、ことさらに顕著に見られる。彼の靖国参拝で、世界中が、あるいは少なくとも東南アジヤの諸国が彼のこの行為は、過去の侵略戦争を美化するもの、少なくともそれを反省しないものとみるなかで、”私はそうは思はない”「純粋に哀悼の意でやっている」といった。本人を除く皆が、カラスは黒いと言っているのに、自分はそうは思はない、カラスは白い、と言い張っているのである。
やはり、8月15日は、敗戦日である。