投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

不審船というお芝居 第二幕(下)

2002/9/20 本間正勝、60代以上、なし

 船体を射撃するという戦争行為をしてまで、要求命令した目的は、(理由の正当性有無は措くとして)はっきりしている。
即ち、漁業法74条3項に基ずく【臨検】をするために停船を求めたのだという。(朝日 12/24)

【資料】
 (漁業法第七十四条3
 漁業監督官又は漁業監督吏員は、必要があると認めるときは、漁場、船舶、事業場、事務所、倉庫等に臨んでその状況若しくは帳簿書類その他の物件を検査し、又は関係者に対し質問することができる。)

 そして、停船命令を無視したので、立ち入り検査忌避したことになり、危害射撃を加えた。(毎日 12/24)

 船体射撃をした行為についての法論議は、識者に委ねるとして、2点の不条理を挙げることが出来る。
 一つは、500メートルの距離からの、特にお得意の【追尾】態勢での、拡声器、手旗、空中・海中射撃という警告手段は、波音やエンジン音も加わって、相手に通ずる筈がないことを、承知の筈であること。
 船は進行方向に注意を払っているから、前方に出れば意思を伝えやすいのに、能登沖と同じように、敢えて【追尾】に徹するのである。

 今一つは、臨検が目的ならば、停船させなくとも出来るものである。
 他船に乗り移るには、船体同士が平行している方が望ましい。
 小型船は、風波のある時停船すると、風に流されて船首の方位が変わり易いから、接船する相手は平行の位置へ操船するのは困難になるという。従って、速力のあったほうが船首方向が安定していて、平行に接舷するための操船がし易くなる。
 船乗りの常識だから、救難などの訓練をつんでいる海保船なら当然承知の筈だと船員の方は断言している。

臨検するためには、相手の船に乗り込んで、調査取り調べるのが常道である。 巡視船は不審船に接触も含めると、3回接舷している。

13:54  不審船と「いなさ」が接触。
18:52 「きりしま」が不審船に接舷。不審船が停船。しかし、うねりが強いためにいったん離れ、巡視船4隻で不審船を取り囲む。
ここで不思議なことが起こった。
 船同士は完全に接舷して、相手も停まったのに、一人も乗り移らないのである。「特別司法警察職員」という権限を持っている乗組員は、臨検どころか、 何のために接舷しているのかさえ分からない行動をとる。
 (波のため船が軋むので「早く逃げて下さい」という乗組員の声に、船長は、接舷を続けるのは困難とみて、巡視船を離脱させた。)(読売 2002.08/25)
 臨検は、船を継続接舷しておく必要はない。
 波があれば乗り移ったら離船し、臨検業務が終わったら迎えの接舷をするのが、普通の作業手順だろう。

 不審船は、一人の保安官も乗らないまま、21:22まで2時間半も停止していたのである!!
 その間、4隻の巡視船らは、500メートルも離れていて何の処置もしていない。
 何のために停船命令を出し、どうして砲撃したのか。
 巡視船の乗組員たちは、何の矛盾も感じなかったのだろうか。

21:22 不審船が、再び動き出す。
21:35、「みずき」が、相手が動き出したということで、又、船体に砲撃を加えた。(全部で、223発という)
   人間に例えれば、身体を斬りつけることである。停まれば何もしない。動けば斬りつける。ネズミを弄ぶ、ネコじゃらし行為である。(そのネズミは、レッキとした中国船籍を表示しているのである!)

21:37 2回目の接舷を、「あまみ」と「きりしま」が行った。
 その時の臨検行動は、どういうものだったか、若干報じられている。波浪もあることだから、相手の船に乗り移るには、接舷の瞬間を捉えて飛び移る。
 船乗りでなくとも、これが常識的鉄則である。
 国家を不安にさせる疑いのある不審な船ということで、25隻の船艇と14機の航空機を動員しての、大事な任務である。

 「あまみ」が接舷態勢に入った時、乗組員の配置はどうだったか。
 防弾ヘルメットと防弾チョッキを着用した10人余の乗組員は、デッキではなく、船橋にいるのである。(船長談)
 飛び移るには、船橋を出てから5,6メートルも後部に移動し、階段を下りから、ということになる。
 迅速を要する作業なのに、何と言う臨検準備態勢であろうか。
 結局、船橋に控える乗組員は、防弾ヘルメット・チョッキを着た人形か、案山子のままで終わる。
 しかし、この公務員たちは、それなりの役目を担っているのである。
 ネジを巻かれて動き出せば、折角用意してあるロケットを発射する場面が、演じられなくなるからだ。
 警備のための法改正の口実が、出来なくなるからだ。
 【人形でいる理由】を疑われないための、用意はしてある。

 即ち、【巡視船はいったん不審船に接舷したものの、乗り込むことは避け、特別警備隊の到着を待っていた。】 (毎日新聞12月23日)

 不審があるから臨検する。
 停船命令を無視したから、船体を砲撃した。
 停船しても、特別警備隊が到着するまで、そのままで居ろ。
 特別警備隊が到着するのは、明日になる。

 正気とも思われないことが、国家の行動として実際に起こったのである!

 その特別警備隊(SST)は、どう行動したか見てみよう。
01:10、大阪のSST17人に出動命令。彼らを乗せる小型ジェットは、羽田で燃料が無いからと給油。 命令から2時間経って飛びたち、関西空港で待 っている隊員を乗せる。 08:00頃、鹿児島航空基地に到着。
 ヘリに乗り換えて大型巡視船おおすみに移る。 又、ヘリで不審船を追う高速巡視艇に向けて飛び立ち、この船で不審船に追いつくのは、翌23日00:00の予定。……………というわけである。(九州読売 12/26)

 24時間体制で緊急事態に対処しているSST隊員が、大阪から沖縄付近へ移動するのに、丸一日かかるという愚弄。

 

 到着が翌日になる船に何故降りたのか。
 何故、現場で行動している「あまみ」などへ直接降りないのか。
 隊員を乗せるジェット機の動き。隊員を迎えるヘリ搭載型巡視船「おおすみ」の準備態勢。現場へ向かうヘリの奇怪な動き。「おおすみ」の速力23ノット(42.6キロ)
 搭載ヘリ、ベル212型、航続距離670km、、最大搭載人員 11名
            最大速度 120ノット(222キロ)
 鹿児島から現場まで……400キロ?
 一つ一つの時間と行動をみてゆけば、これがお芝居でなければ、道理が成り立たない。

 「あまみ」が銃撃されたという時の様子は、写真や動画で公開されている。「あまみ」は、完全に横付け接舷していて、斜めから接近しているように書かれている図面とは違う。
 完全に接舷しているから、本来ならば疾うに乗り移って臨検、怪しければ摘発出来ている筈なのである。
 真横の低い位置からの銃撃とすれば、弾痕の殆んどが「あまみ」の船橋正面にあるから理に合わない。後ろへ下がってからのものを示している。
 防弾マスク・チョッキを装備している、警察業務に携わっている保安官なのである。
 夜の闇を利用して、素早く取り押さえる行動は、被害を広げないためにも最善の筈でないか。
 しかし、人形は船橋から出ないまま、巡視船は引き下がったのである。
 不審の証拠として映した写真は、図らずも自らのウソを証明するものとなった。
 観客を甘く見た、シナリオのミスであろう。

 船体前部への砲撃写真は、16:58なのに空は真っ暗である。当日の東京の日没は16:32、沖縄は約1時間遅れであるから、日没には30分も前なので、感光写真でなく赤外線写真なのだろうか。
 赤外線に依る熱感知で、エンジンは二層に分かれた前方船倉の船底にあると断定して砲撃を加えた。 その船倉の上は、蓋が掛けられシートで覆 われた密閉状態であるから、エンジンの熱気が出る筈はない。
 エンジンの排気ガスなら、パイプを引けば、船尾でも出せる。
 この仰天の、熱気によるエンジン前部説の断定は、【幽霊船】の誕生の経緯を、正体を知っているものでなければ、発想出来ないものであろう。

12/24、鹿児島に入港した4隻の巡視艇の船長が、十管区本部で記者会見した。
 その報道記事で【沈没船から、500メートル離れろ】という指示があったことを載せたのは、西日本新聞1社だけだったのは、不思議なことである。
 中央3紙を調べたが、見つからなかった。
 溺れている乗組員を【助けてはならない】というに等しいこのメッセージは、この【幽霊船】の正体を知っているための、このお芝居の演技者であることを、知られないための抹殺なのでないか。
 社会の記録に残らない生活をしていたが為に、潤沢な資金を使ったプロに依って探し出され、雇い金のドルを握って「こんな約束ではなかった」と悔いながら、冷たい海底に沈んで逝ったことだろう。

 「ワシントン9/7共同」の、アーミテージ米国務副長官が、中谷防衛庁長官に、「対イラク攻撃に際しても、日本の給油活動を期待する」と述べたというが、【日本憲法の足かせを外すために仕組んだ、プロデューサー料の請求】のように、私には聞こえた。