しろうさんが10月23日付けで、拉致問題雑感を投稿なさっています。
その投稿は、「YYさんの議論全てに賛成するのではありませんが」と前置きしますが、その投稿全体はYYさんの議論を全面的に支持する内容以外のなにものでもありません。
「突然拉致された人やその家族にとっては許しがたい行為です。彼らが怒るのは当然ですし、また、同じ日本国民として、一般の国民が彼らと共に怒ることも理解できます」と言いながら、本当に言いたいことは次の言葉です。
「しかし、今回の拉致事件について悲しみや怒りを共有する日本国民が、韓国併合前後から日本の敗戦に至るまで日本人によって殺され、拉致された何千人何万人という朝鮮人やその家族の悲しみや怒りをどれほど共有しているのでしょうか。・・・日本は北朝鮮に居住する朝鮮人に対して全く謝罪してきませんでした。・・・拉致事件について北朝鮮を非難する日本人の大合唱に、私は違和感を感じざるを得ません。」
つまり、
「同じ日本国民として、一般の国民が彼らと共に怒ることも理解できます」ではなく「拉致事件について北朝鮮を非難する日本人の大合唱に、私は違和感を感じざるを得ません。」
ということこそが、しろうさんの意見であるわけです。
YYさんのアメリカ・日本と、対抗する北朝鮮の間の犠牲者であり現象だけを追いかけても仕方ないというYYさんの理屈と形は違いますが、言いたいことは同じです。
拉致問題を大騒ぎするより、アメリカや日本の北朝鮮敵視政策をやめさせろ!あるいは過去の日本の侵略と植民地支配の謝罪と賠償が先だ!というわけです。
それがない以上、拉致問題だけをとりあげて糾弾批判するのはおかしいというわけです。
お二人に共通するのは、そういう理屈をこねながら、今現実に生起している拉致や工作船などという北朝鮮の蛮行を容認し、原状と人権を回復するために必要なそれへの対処を妨害し敵対し無視軽視してきた人々や団体を擁護するものです。
YYさんには、拉致問題を糾弾批判し、原状と人権を回復することこそが、アメリカなどの野蛮なテロやテロ支援、世界支配の野望を突き崩して行く道であると主張しました。
しろうさんには、こう言いましょう。
拉致問題を糾弾批判し、原状と人権を回復することこそが、日本の過去の侵略や植民地支配の謝罪と賠償に道を開き、二度と繰り返さぬ保障であると。
さまざまな理屈をつけて、拉致問題を糾弾せず、批判せず、原状と人権回復を目指さない人こそ、アメリカを容認し、日本の過去の過ちを支え、これからの道を誤らせる人なのです。
しろうさんとYYさんに言いたいのは、拉致問題に対抗させずに、アメリカの不法な支配や侵略戦争問題に、あるいは日本の過去の謝罪と賠償に、しっかり語り取り組んでいただきたいということです。
しかし、国民生活破壊の問題、日本の社会経済の危機の問題をもっと真剣に論議し打開の行動に取り組まなくてもよいのか、焦燥感でいっぱいです。