ihcitakeさん、こんにちは。
私の意見に関するichitakeさんのご理解にはやや疑問があります。
ichitakaさんは、次のように私の意見を代弁されます。
拉致問題を大騒ぎするより、アメリカや日本の北朝鮮敵視政策をやめさせろ!あるいは過去の日本の侵略と植民地支配の謝罪と賠償が先だ!というわけです。
それがない以上、拉致問題だけをとりあげて糾弾批判するのはおかしいというわけです。
私は、「過去の日本の侵略と植民地支配の謝罪と賠償が先だ」とは言っていませんし、そう考えてもいません。
人権尊重の考え方から日本人拉致問題に怒るのなら、日本人の行為によって傷つけられ現在もなおその傷みに苦しんでいる被害者本人やその家族を思いやる行動があって当然ではないかと、私は思うのです。
しかし、拉致問題に怒る日本人は、日本人の朝鮮人殺害や拉致によって苦しむ朝鮮人を思いやっていると言えるのでしょうか。あるいは、朝鮮人を殺害し拉致した日本人に対する怒りをどれほどの日本人が持っているのでしょうか。 そういうことを考えると、日本人の大合唱に違和感を感じざるを得ないのですが、ichitakeさんは、そんな点、どうなんでしょうか。
さて、後先の問題から言えば、今回の拉致が実行された時には朝鮮人に対する日本人の謝罪や賠償が行なわれていて当然であったのですから、朝鮮人に対する謝罪や賠償が先であるに決まっています。というより、それが行なわれていたのなら、今回の拉致は存在しなかったように思われます。
しかし、そのような議論は、日本人に対する拉致が発生した後である現時点では、異なるものとなるでしょう。
この場合は、謝罪と賠償に順番はないと思います。
正確には知りませんが、ある有名な芸能人がラジオ番組か何かで、朝鮮が謝罪した時点で日本も謝罪すればよかったと発言して、日本人の抗議が殺到しているというような話しを聞きましたが、私も、その芸能人と同じ考え方をします。
自分の謝罪と賠償は棚に上げて、相手に対する謝罪と賠償を請求するというのでは、日本人同士の紛争でも通用しないでしょう。
次に、以下のご意見について述べます。
お二人に共通するのは、そういう理屈をこねながら、今現実に生起している拉致や工作船などという北朝鮮の蛮行を容認し、原状と人権を回復するために必要なそれへの対処を妨害し敵対し無視軽視してきた人々や団体を擁護するものです。
このような論理は、このように言い換えることもできます。
ichitakeさんは、理屈をこねながら、今現実に苦しんでいる朝鮮人やその家族を救済する道から目を逸らすことを容認し、原状と人権を回復するために必要なそれへの対処を妨害し敵対し無視軽視してきた人々や団体を擁護するものです。
つまり、私が引用したichitakeさんの発言部分は、自分の立場から相手を攻撃する意味しかないように思われます。
次は、以下の部分です。
しろうさんには、こう言いましょう。 拉致問題を糾弾批判し、原状と人権を回復することこそが、日本の過去の侵略や植民地支配の謝罪と賠償に道を開き、二度と繰り返さぬ保障であると。
拉致問題だけを糾弾して、日本の過去の侵略や植民地支配の謝罪と賠償に目を向けないという日本人が多いのではないですか? そうでなかったなら、日本人はとうの昔に朝鮮人に謝罪賠償し、したがって、今日の拉致問題もなかったでしょう。
拉致問題だけを取り上げて断固糾弾するような方法では、日本人が過去の侵略と植民地支配を心から謝罪する道は開けないと私は思います。
今回の拉致問題は、因果関係的には日本人の朝鮮侵略に起因するし、そこまで遡らなくとも、日本人が北朝鮮に住む朝鮮人に謝罪してこなかったことが原因の一つとなっていると思います。
その点を押さえないで、日本人に対する拉致のみを取り上げて断固糾弾する方法は、因果関係を無視している点で、関係当事者を納得させることはできないでしょうし、また、再発防止にも寄与しないと思います。