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一般投稿欄

改革の中身とは?そして改革のために何が必要か

2002/10/14 ichitake、50代、零細企業経営者

 わたしの10月8日付の、もっと国民生活の問題、日本の経済社会危機の問題を論議し活動しよう、という趣旨の書きこみに、10月9日付で桜坂さん、10日に山本さんとHegelさん、そしてみちじろうさんから意見をいただきました。有難うございました。
 賛成のご意見とともに、もっと「理論的」「数字・数学的」に煮詰めるべきとのアドバイスもいただきました。
 これは、国民生活の危機、日本経済と社会の危機の深刻さを考えるなら、運動を広範に広げながら追求して行く課題と思います。
 さざ波の読者の方だけでなく、共産党、新社会党、社民党、民主党、自由党、そして市民団体、労働運動、諸活動家すべてのものにしていかねばならないと思います。わたし自身、先週からそのために動き始めました。あらためて共同の闘いを訴えます。

 さて、みちじろうさんからはきつい批判をいただきました。
 しかし、みちじろうさんとの「こうした応酬」はわたしののぞむところではありません。
 実際、10日の投稿で書いていらっしゃる多くの現象、そしてそれへの評価=例えば50%以上の人がサービス残業を余儀なくされていること、高校生などの低い就職率、国民消費がGDPの6割とか7割とかの書きこみには、私自身異議はありません。
 是非、ともに改革を進めたいと思います。
 意見が異なるのは、公務員準公務員制度の中にある「無駄な職場や労働」「年功序列賃金など不釣合いな待遇」「一部にある無駄あるいは過剰な社会保証」についての評価だと思います。
※みちじろうさんは月給20万円以下の給料で大した話ではないように書きますが、郵政事業庁の問題は、天下りと郵政事業庁との特別な契約関係が疑われるところにあると思います。また、そうした不明朗な関係の中で、退職者が貰う20万円が大した金でないのかどうかは、みちじろうさんの感覚の問題です。他方で、高校生の就職難を書かれるみちじろうさんですが、どういう整合があるのか不思議ではあります。※
 そして、これらは、わたしは日本の官僚制の問題、政・官・財の癒着と支配体制の補完物であり、分裂しつつある日本社会の「大きな矛盾」であると考え主張しているわけです。
 こうした意見を主張するやいなや、みちじろうさんの感情的な反撃を浴びることになるのです。
 曰く、「なぜあなたの提起に反応がないのか、ご自身の主張を振りかえられてはいかがですか」「労働問題や公務員問題では極論をすぐ主張されます」「攻撃してやまない公務員」というわけです。
 当掲示板で、国民生活の問題や日本経済や社会の問題を論議し、深め、運動を進めて行く必要があるのは、わたしの呼びかけにこたえるかどうかなどという矮小な問題ではありません。切実な問題です。
 わたしの言うことが極論かどうかは、世論や時代のながれや当掲示板での論議を通じて明らかになってゆくと思います。わたしの誤りも含めてです。 運動のやり方についても、例えば「労働運動に発展の為に、ただ、運動の強化を言っても意味が無い」という趣旨の発言がなぜ、切り捨てるという話になるのでしょうか?
 みちじろうさんには、少なくとも「改革をのぞむものにも、その内容・方法については様々な意見がある」ということをわかっていただきたいと思います。
 そして、そういう意見の交流を通じて、われわれが実現せねばならない「改革」の実像が、そして改革を実現する「道筋」が少しづつハッキリしてゆくと思うのです。
 その論議と運動の中では、わたしは自分の意見に固執する気はありません。

 みちじろうさんの挑発に乗って、少しわたしのことを書きます。
 わたしは、労働組合運動の経験もあります。権威付ける気はありませんが、100人規模の単組の委員長も経験しました。その中で思ったことは、労働組合が真に民主主義の場であるかどうか、そして労働者が真に自主管理能力を備えていこうとしているのかどうか、資本主義の中で=しかし政治的民主主義のなかで、ということです。
 なんの根拠を持ってかわかりませんが、みちじろうさんはわたしの今の職場にも言及されますので、そのことも言っておきましょう。
 前に当掲示板にも書きこみましたが、わたしは、労働組合運動の経験も踏まえ、様々な事情によって企業を立ち上げ、今、社員の自主管理企業(=自称・社会主義企業)を目指して働き闘っています。給与や有給休暇などの労働条件も経営方針も社長の地位も社員の選挙と投票で決めています。 そして、残念ながら経営は苦しいです。その原因は、厳しい競争社会の中での自分たちの能力不足もあり、中小零細企業への不当な低価格の押しつけ(官公需の入札もそのひとつ)もあり、政府の金融政策や銀行の貸し渋り貸し剥がしもありです。いずれにせよ、自分たちが組織する会社の能力以上の待遇は出来ません。労働基準法に違反するレベルになっていないのがせめてもの救いです。
 社員のためにも自分のためにも、切実に社会の「改革」を願うものです。
 様々な意見があることを認めた上で、論議を深め、連帯し共同して「改革」を実現しようではありませんか。