投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

革新は、北の罪は取るに足らないと正直に告白すべきである

2002/11/2 バビロン、30代、会社員

 昨今の北朝鮮の拉致に対する、革新の人達の及び腰ぶりをみていていると、戦後、国民が真に、革新というものを指示し得なかったことは、さもありなんと思えてきます。
 私は以前から、革新の人達の、旧日本軍やアメリカの蛮行への非難の度合に較べ、中共や北朝鮮の蛮行への非難の明かな弱さに対し、疑問と憤りを抱いてきました。

 私からすれば、旧軍やアメリカであろうと、中共や北朝鮮であろうと、罪無き人達を弾圧し、虐殺するとことは相対的にみて、どれも同じ憎むべき非人道的犯罪行為にしかみえません。しかし革新の人達は中国や北朝鮮の罪に関しては、つい最近まで、時には見て見ぬ振りをし、時には当たり障りのない苦言を呈すという程度でした。それに酷い場合には、非難をすることは、日本の戦争責任を否定することであるとか、アメリカ覇権主義を利するだけとさえ、のたまう始末でした。

 確かに革新の人達の、日本人は中国や朝鮮半島への侵略責任、戦争責任を真摯に謝罪し、その罪を背負い続けるべきという考え自体は、私も全く依存はありません。しかし、その真に謝罪すべき相手とは、旧日本軍と同じような全体主義国家の、中共や北朝鮮ではなく、今もその全体主義のくびきにある、一人一人の人民であるはずではないのでしょうか? ところが、革新の人達は、その人民を全体主義のくびきから解放する努力もせず、本来、負い目を感じる必要の微塵もない、全体主義国家に物言わず、その良いなりになるこそが日本の贖罪だと、盲信してしまったのです。

 それゆえに、革新の人達からすれば、北朝鮮の拉致、不審船の覚醒剤密輸、中共のチベット弾圧、天安門事件も旧軍の罪からすれば、取るに足らず、それを日本人が非難する資格など、何処にもないといった、傲慢ささえ持つようになったのでしょう。そして、その視野狭窄な傲慢さこそが、現代、拉致事件を機に世間に知れ渡り、糾弾されている彼等の罪の実態なのです。

 私は元から、革新の未来など無きに等しいと思ってきた人間ですので、革新という存在が消滅することに、何ら感慨はありません。しかし今のように、彼等が自らの相対的視点の欠如を猛省せず、漫然としたままであり続けるなら、その終幕はより一層、惨めなものになることだけは明かだと、言わざるを得ないでしょう。