わたしは、70年代に共産同(ブント)系怒涛派に身を置いてきました。
その後、労働組合の闘いを経験し、古在さん・芝田さん・田口さんの影響を受け、怒涛派からの離党と闘争を経て、長期にわたる空白を経て新社会党に合流し、ここでもその官僚主義になじめず8月に離党しました。
そういう経験を経た人間から見ますと、11月22日の国家公務員さんACCESSさんの投稿は、ある面うなづけないわけでもないのですが、しかし、根底ではどうしても納得のできないところがあります。
そのことを書かせていただきます。
わたしは第1次ブントについては知見がありません。
おそらく共産党の「現実路線」に反発した左派部分の闘いであったのでしょう。そこにトロツキズムの復権と影響が加わり複雑な構造になったのだと思います。
その後の日韓闘争から60年代後半と70年代初頭に続く闘いのなかでは、ブント系と革共同系を初めとした新左翼諸党派が、その政治的な未熟さゆえに政治路線を深化できず暴力的に純化し内ゲバまでをも引き起こし大衆的な基盤を喪失していったこと、このことは事実だと思います。
しかし、その時点においてさえ、共産党が正しかったから勝利したなどと言うことはできないとわたしは思っています。
あの段階では、共産党と新左翼双方が、共産主義原理主義であり前衛党1党主義を信奉していたのであって、不毛な闘争を遂行していたのだと思います。新左翼諸党派がより未熟で脱落していったということは事実だと思いますが、共産党の前衛党1党主義はいまだに正式に克服されていません。
そしてなによりもわたしが言いたいのは、当時の学生反乱、青年労働者反乱などの局面において、共産党は明確に「保守の立場」に立っていたということです。
現実に、抑圧と差別が存在していて、それに息苦しさを感じていた多くの青年・学生が声をあげ自由を勝ち取りたいと運動していたその時に、「学生は学ぶことが本分」「生徒会・自治会のルールを踏まえた学園民主化」などという、実際には出来ないこと、流れにかき消されてしまうことに運動を導いたとわたしは考えていますし、当時、明確にそう感じていました。
70年代において共産党が躍進したのは、むしろ60年代70年代の青年学生反乱のエネルギーが新左翼諸党派の凋落によって共産党などに「流れた」結果だとわたしは感じていました。
よく団塊の世代が今のどうしようもない日本を作ったのだという論調が見受けられますが、これはこれで分析せねばならないのですが、逆に70年代中期以降80年代を通じて日本の自由と民主化を進めたもの、それは高度経済成長とあの60年代後半から70年代中期にかけての青年学生反乱とその運動の市民運動などへの拡散であったとわたしは感じてきました。敢えて言うなら、ここで果たした共産党の役割は小さなものでしかなかったと思います。
70年代80年代の共産党の躍進は、逆に、青年学生反乱の結果であったのだと思います。
その後、青年学生の反乱のその最悪の部分が新左翼諸党派に継承され、最良の多数の部分が社会に拡散していったのだとわたしは思っています。
この拡散は、現在において、必ず、再度の結集を果たすものと確信しています。
そして現在です。今、たしかに共産党も変わりつつあります。
しかし、自・公・保政治にうんざりし、新左翼諸党派に幻滅した人々は、新たな政治文化経済情勢の中で、必ずしも共産党に望みを託そうとは考えていません。
市民運動でも国政で闘えます。民主党も面白いではありませんか。
勝手連でも無党派でも闘えます。
弱体化した社民党や新社会党を変えられるかもしれません。
ここのところを見誤るならば共産党に未来はないと思います。
誤解のないようにお断りしますが、わたしは、現段階において共産党を敵視するものではありませんし、国民生活の破壊と日本社会経済の危機に際して、変革の多数派形成の中に入っていただきたいと考えています。
さて、さざ波通信です。
わたしは、さざなみ通信の共産党の民主化には賛成ですが、左翼的な強化には反対です。
そして、民主化であれば、このような方法では困難であり、もっと明確に闘い、許しがたいことに共産党中央が弾圧除籍などの挙に出てくるならば決然と離党し新たな政治グループを立ち上げるべきと考えます。
そういった意味で、ACCESSさんとは正反対の意見を持つものです。