激辛ケインジアンの地域経済 分科会です。
わたしの友人からの情報を総合すると以下のようなことが言えます。
1.若い党員の間では、昔の原水禁、協の対立などどうでも良いと言う感じ。平和フォーラム(連合系の平和団体)の有事法制反対や原発反対の署名を持って行っても快く応じてくれる。
2.しかし、50代以上の特に共産党専従は酷いセクト主義
50代以上の専従は、ひどいものです。学生班(民青のことか?)に対して、「中核派批判を活動の中心に」と指導する始末。
これじゃあ、学生が興味なくしてしまいますよね。私も中核派は大嫌いです。しかし、強盗が家に侵入しているときにゴキブリのことにいちいちかまっていられないのとおなじことで、自民党、公明党が主敵ではないでしょうか。
同様に、新社会党、社民党や無党派の市民運動に「偽左翼」のレッテルを貼るのもこの連中です。全く困ったものです。
「原水協が統一を呼び書けているのに、原水禁が応じない、」というのは全く建前の話で、実際はこの方々が、「偽左翼」(この方々が呼ぶ方々)が入ってくるのを嫌がっているだけです。
解放同盟にしても、昔のように暴力を振るうことはありません。テロにも戦争にもきちんと反対しているのだから共闘できるはずですが、それができないのは、逃げているだけです。
このような視野の狭いことでよくまあ、世の中を生きてこられたと不思議ですが、「共産党村」に留まる限りはそれで良いのでしょう。
「公務員や会社員が勤まらないから、党専従でやってきた。」
という陰口をたたくものもいますが、わたしはそこまでは申し上げません。まあ、そんな人が狭い了見のものが同僚に来たら「お前、それでは行政(商売)にならないぞ。」「組合活動にならないぞ」と忠告するだけでしょう。
市民運動の場面なら「運動にならないぞ」ですね。
まったく、それでいて、「展望がない」「共産党に追い風が吹くことはない」などと、ため息をついているそうです。
怪しからんことです。我々一般市民からすればふざけるなということです。最初から「排除の論理」を取って、門戸をふさいでおきながら、「展望がない」ですから腹の皮がよじれて仕方がありません。今にも、笑いすぎて、窒息死しそうです。
そんなことで天下を取れるなら鼻からスパゲッティを食って見せます(すこしふざけすぎかな?)。
3、日本共産党は、専従を全員市民運動に修行に叩き込むべし
わたしの愚見は標記です。
無茶苦茶でもないと思います。
少しは、新社会党や社民党、「偽左翼」の方々と一緒にやる練習をすることです。
そうすれば、党の専従になって、「排除の論理」を取ることもすくなくなるでしょう。
「一致する要求」で行動することも出来るようになるでしょう。沖縄のような失態を減らし、尼崎や熊本の快挙を増やすことが出来るでしょう。
敢えて厳しいことを言えば、天下を本当に取る気がないから排除の論理を取る。そして、展望がない、などといって、ため息をつく。それでも禄を食んでいるとは恥知らずです。
専従の仕事が大変なのはわかります。自民党でも公明党でも専従はわたしはなるつもりはありません。私は自分が所詮は卑怯な労働者であり、評論家に過ぎないことを良く知っています。
しかし、それでも恥は知っています。闘うべき所は闘っているつもりです。大丈夫たるもの、労働者を裏切るようなことがあれば、バンジ-ジャンプでもする覚悟は出来ています。仲間が過ちを犯さんとすればその着物のすそを食いちぎってでも止める覚悟はあります。もし、わたしの言っている事が間違いなら鼻からスパゲッティを食う覚悟はいつでも出来ています。
それは私の友人がよく証明してくれるはずです。
その程度の覚悟は、彼らにおそらくはないでしょう。(下らない覚悟といわれればそれまでですが、その程度の覚悟さえないということを言いたいだけ。)サラリーマンと化してだらだら、ちんたら上の言うとおりやっている上司。これではまだ組織としては普通の工場や店や役所や会社の方がマシです。
4、自分だけ被害者面をするからおかしいことになる
--旧総評分野--
公務労働者の職場で党員が増えない? それは当たり前です。公務員で党員になるとやばいから隠さないと行けない? 本当にご苦労様です。
しかし、これは仕方がないことです。公務員職場で根強い原水禁活動家に、共産党が何と言ったか?「アメリカ帝国主義の手先」。正しいこと言っていたのは、「いかなる国」の「いかなる核」にも反対した「原水爆禁止日本国民会議」及び「総評」ではありませんか?
一生懸命核実験反対で座り込みしていたのに、いきなり「帝国主義の手先」などと言われたら本当に、精神的ダメージには察するに余りあるものがあります。
これでは自民党と社民党の挟撃に遭うのは当然です。残念ですが、やむを得ません。
思想差別は不当ですが、反共攻撃したくなる社会党の人の気持もわかります。かくて、労組幹部が民青同盟員を弾圧すると言うこともままあったわけです。
幹部の意地っ張りのために弾圧の対象になる末端党員、同盟員は御気の毒様です。いろいろ反論はあるでしょうが、「ソ連の死の灰は喜んで浴びる」と共産党が広島市中心部で演説した事実は消せません。御かげで、被爆地の割りに平和を訴える党のはずの日本共産党の支持率は極めて低く、社民党の後塵をはるかに拝しているそうです。被団協の数でも社民系に圧倒されています。村山が裏切ってもこのざまですから1980年代などはもっとひどかったことでしょう。
(むろんわたしは、現在、どの党が現状を変えうるに良いかと言う視点にたっており、それは共産党だと考えています。でなければ「日本共産党が天下をとるには」などということはいいません。わたしはそんな暇人ではありませんから。)
とっとと、謝ってしまえば良いのです。ごめんなさい、40年前にはこういうこともありました、でいいじゃないですか。それが原水協、共産党のためです。
何、解放同盟相手には謝りたくない? そんなことではだめです。北朝鮮相手にも謝るべきは謝り、毅然とすべきは毅然とするのと同じことです。当たり前でしょう。
人の足を泥靴で踏んでおいて、自分だけ被害者面をするからおかしいことになるのです。
不当な攻撃が多かったのは事実ですが「因果応報」の部分もあるのです。
そして、せっかく100%近い組織率だったのに、無理やり自治労から分裂させて、自治労連にして組織率が30%未満、しかも若手の行政職は専従を除きゼロというのが某県の県都の市職労です。名誉のために県名は伏せておきます。しかし、私は嘘は言いません。
一方自治労に留まる県職労はたしかに、民主党支持など問題点はあるにせよ、100%近い組織率で、ストライキや伝統の座り込み闘争は健在です。毎年原水禁大会にも多数の参加者を送り込み、反原発闘争などにも頑張っています。高度資本主義の矛盾の現われでもある原発への反対闘争に取り組んでおれば、戦闘的労働組合としては「合格点」でしょう。
自治労連市職は「戦力不足」で、当局に手も足も出ません。原発闘争の現場に彼らの旗を見たことがない、と友人は証言します。例え共産党本体が、いる場合でもです。
共産党員幹部はたしかに、戦闘的ですが全体としてみれば「自治労未満」に成り下がっています。掲げている主張が正しくても力がないのでは話になりません。どうして「戦う労働組合」といえるでしょうか。
全労連が連合を「闘わない」とこき下ろすのは、自分たちの実態を覆い隠すためではないかとさえ愚考いたします。
むろん、総合的に見て、日本共産党が一番正しいのは確かです。しかし、個々の幹部党員が労働運動での失敗、原水禁での失敗をきちんと総括しない限り、公務労働者への拡大は望めません。(天下を取っても、労働者(自治労、日教組、国公総連系)に反乱を起こされて転覆される可能性大です。)
そして、結局末端党員を下手をすれば地方公務員法36条違反の現行犯にしてしまうでしょう。興味のある方は六法全書をご参照下さい。
5、結論
あと数十年経てば、頑迷分子は党の要職から消えて、共産党は良い意味で柔軟になるでしょう。
しかし、そんな悠長なことではダメだ、というのが、大方の見方でしょう。個別政策で例えばわたしとichitake様、その他と違いはあっても、もっと柔軟に共闘しないとダメと言うのは一致していると思います。
市民運動家、労働運動家、社民、新社会をはじめ他党派の人。
ともかく、「何のために何をするか」が大事です。「平和にするため」に「平和運動」をするのであって、共産党を伸ばすためではない。
そういう意味では、わたしのこの投稿の命題設定も間違っています。「鼻からスパゲッティもの」かもしれません。
本当は「社会をもっと良くするためにはどうすればよいか。そのためには、なにをすればよいか」というべきです。
そこに全ての人が経ちかえったとき、自ずと道は開けてくるでしょう。当然、そのとき、日本共産党は天下を取っていることは間違いないと確信はしています。
もし、世の中が良くなっていてなおかつ共産党が天下を取っていなければ、そのときはわたしの間違いです。祝杯をあげながら鼻からスパゲッティを食います。その模様はインターネットで同時中継する予定です(誰も見たくないって??)。