私はこの前の投稿で、革新の北朝鮮や中共への擁護的姿勢はつい最近まで存在したと書きましたが、週刊金曜日の愚行を例にとるまでもなく、これはつい最近どころか、現在も続いているの誤まりでした。
週刊金曜日は北のプロパガンダと知りながら、あのような痛ましいインタビュウを掲載したことについて、「一方的な情報だけでなく、異なる考えを伝えるのも、ジャーナリズムの務めである」と、あくまで客観報道の必要性から、そうさせたのだと釈明しています。しかし客観報道の必要性と言いながら、私の知る限り、週刊金曜日が過去に自分達と立場を異にする意見を積極的に取りあげることなど、殆どなかったと記憶します。週刊金曜日には、彼らの反対意見であっても、これは書くべき必要があるという事柄についてさえ、意図的に触れない編集方針が随所に見られました。そのような体質の雑誌が、北のプロパガンダ同然のインタビュウを掲載するということは、彼らの拉致問題についてのスタンスが日本の世論よりも、北の公式見解に極めて近いものであると断言してよいのでしょう。
週刊金曜日は常に弱者を擁護し、市民の視点のジャーナリズムでありたいと、うたってきました。しかしそう言いながらも、彼らには、北や中共の圧政に苦しむ民衆は、擁護すべき弱者とは写らず、拉致を非難する日本の世論も、市民の良識ではなく、偏向マスコミの垂れ流しの産物だとみえてしまうようです。
週刊金曜日は小泉訪朝以来、北へのバッシング一色で、日本の過去の加害責任を追求しくい雰囲気が、世論に出来つつあると主張しています。しかし皮肉なことに、そのような雰囲気を作り出した元凶が、彼ら革新ジャーナリズム自身にあるとは気付いていいないのです。これは以前にも書きましたが、彼らはあまりに短絡的に、加害者として、大日本帝国と戦後の自民党政権を憎悪する一方、中共や北に関しては、植民地時代の被害面のみを強調するだけで、彼らの加害については寛容で、目を向けることなど殆どありませんでした。彼らにとっては叩くべき敵とは、日本政府と世界最強のテロ国家アメリカであり、中共や北の加害的側面に触れることは、利敵行為以外の何者でもなかったのです。そして彼らが、中共や北の罪に触れずに、日本の加害責任を追求すればするほど、右翼的な人達だけでなく、それらとは距離を置く人達にまでも、「過去の加害責任追及=中共、北の擁護」のような、イメージを植え付けていくことになったのです。もし週刊金曜日及び革新が本当に、過去の戦争責任を追及し、広く知らしめることが可能な、健全な世論にしたいと願うのなら、それと同様のことを現在も行っている、中共や北朝鮮といった全体主義国家の罪を非難すべきなのです。しかし、彼らにそれが出来るのなら、もっと早くに出来ていたはずです。今もって、それに気付かず、愚行を繰り返す彼らをみると、やはり革新は速やかに滅びるべきだという以外に道はないのでしょう。