長野県の田中知事が、県職員の給与の引き下げを決断した。
11/17付の投稿で、共産党日和見宣言さんは、この事態にえらくご立腹のご様子です。
わたしは、このさざ波で、もっとこういう意見が書きこまれるのではと予想していたのですが・・・
しかし、田中知事の今回の決断は、反労働者的反国民的なことなのでしょうか?
わたしはそうは思いません。
長野県財政が逼迫している現在(わたしの記憶では、長野オリンピックの後遺症もあり全国2番目くらいの厳しい財政)、不要不急の公共事業や官公需を削ると共に、県職員にも我慢していただくのは当然だと思います。
問題は、そのカットの仕方だと思います。
まず、無駄な職場を削り必要な社会保障に振り替えたうえで、職員への評価に関して明確な基準のもとにその能力、責任、業績、勤怠などを反映させ、同一労働同一賃金に近づけて総支給額を抑制してゆくことが重要だと思います。一律の抑制は能がありません。
他方で、パート職員など臨時職の待遇の改善をはからねばなりません。
こうしたことであるならば、そのどこが反労働者的であり反国民的なのでしょうか?
県財政の逼迫の状況の中で、税、健保、年金の負担と給付で国民(県民)に負担を押し付けている現状において、無駄な公共事業や官公需を削るだけで、問題が解決するなどと楽観的に考えることなどできないと思います。
にもかかわらず、俺たちの給料だけは手をつけるな!と言うならば、そういう労働者や労働運動は、少なくとも反国民的な存在であり運動であると思います。
こういうときに、よく言われることですが、公務員の労働条件の低下はすぐに民間に波及するということを主張する人がいます。
そういうことが全くないとは言いません。
しかし、国民にとって、どちらが大変なことなのでしょうか?
官僚や公務員のための仕事と職場があり、他方で国民のための公的職場や労働が削減されていく、そして、財政難にもかかわらず年功序列を基礎に高い報酬を安定的に受け取る公務員・準公務員層が存在する。
この公務労働と官僚制、そして公務員制度にメスを入れ、破綻しつつある財政をたて直し、その力とお金をより国民の福祉に使用することがより有効なのではないでしょうか。
共産党日和見宣言さんが、「このページでもやっていますが、労働者階級同士が・・・足を引っ張り合ってっから、資本家階級はなにもせず大喜びっすよ」て言うほど、単純な話ではないでしょう。
具体的な問題(財政難、無駄な公共事業、県民に必要な施策)に対する具体的な政策が必要です。
そういった意味では今回の田中さんの決断は、わたしにとって(そして、おそらく長野県民にとって)当然のことに過ぎないと思います。
さて、田中さんの今回の決断に共産党や革新政党・団体がどういう反応を示すか、じっくり見させていただきましょう。