私は1939年生まれで63歳になろうとしています。
病気でもある私の命は後何年生きられるかはわかりませんが、私が労働運動に関われる期間は僅かだと思います。
私が組合運動に関わったのは30歳位からですから、まだたいした経験もありませんが、「不況で経営が」と24名の仲間と指名解雇を受け、結果的に1人で闘い解雇撤回職場復帰を勝ち取り、その後、その会社が倒産し企業再建闘争を闘い勝利的解決を勝ち取りましたが、多くの仲間に支援していただいたことに報いるためにも、精いっぱい頑張ってきたつもりですし、さらに努力していく決意です。
さて今日の日本の労働運動が情勢に見合って活発で、資本家階級とその政府及び米支配階級に取って、脅威に感じられる勢力に成長しているかと言えば、けっしてそうなっていないというのが現状だと思います。
深刻なデフレスパイラル現象にある「不況」だからといいますが、立場が正反対の資本家階級と労働者階級が、「不況」に対する見かた、受け取り方も違うのが当然です。
資本家階級は山ほど商品(富)を所有していますが、その商品を市場で消費し資本増殖をしたいが、市場が消費してくれないと嘆いています。
労働者階級は自らが生産した富(商品)を目前にして、失業や賃下げで富を買うことが出来ないばかりか、命の不安に慄いています。
過剰生産と言われ山ほどある富(商品)を、労働者・労働組合が勝ち取る力があれば、資本家階級を規制する力があれば、ヨーロッパ並以上の安心が得られる条件は、客観的に見れば十分あります。
地域経済分科会さんの言う経済を民主化させ、「セイニァリッジ」等という難しい、私など聞いたこともない言葉を使うところを考えれば、高等教育を受けた方のようです。
しかし、理論的に欠落していると思うことは多国籍企業化する独占企業と、米日支配階級が日本経済を活性化させることなど、まったく考えていないと言うことです。
さらに言えば、資本主義社会における資本家階級の本質は、「資本の増殖戦争に勝利する」ことがすべてであり、人の生き死により「銭儲け」優先の華やかな地獄社会が今の現状です。
彼の奴隷制社会の奴隷が、最低限度であっても生きる権利を保障されていた、徳川幕府の「生かさず殺さず」の社会が懐かしくさえなる社会が、私たちが生きる現代社会だと言ったら地域経済分科会さんは、「夢がなくなるからそれ以上は言わないでくれ」とでもいうつもりでしょうか。
元々理論とは究極的なものであり怜悧なものであります。
体系的な理論はわかりませんが、マルクス主義理論によれば、人類史のほとんどが圧倒的多数の働く者の階級と少数の支配階級の対立の歴史であったと言います。
近代資本主義社会は歴史上で最も生産性の高い段階にある社会でありながら、支配階級が非支配階級である労働者の生存権を保障しない、歴史上最も過酷な社会であります。
つまり、労働者個々の生産性が向上すればするほど失業者が溢れ、失業を免れた労働者は益々低賃金と労働強化が押し付けられ、一層失業者が増加するという社会が資本主義社会の本質であります。
したがって近代労働者階級は自らの生存権をかけて、働く生き者(人間扱いされない)としての存在から自らを解放し、人間性を勝ち取るために「万国の労働者団結せよ」の旗の下に結集し、資本主義社会を廃止するまで闘わざるをえない、使命を負っている階級であります。
地域経済分科会さん、今大事なことは自らの立場を明確にして、闘う仲間を結集することだとは考えないのでしょうか。