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一般投稿欄

「親日派のための弁明」の論理

2002/11/10 京都の自治労連組合員、40代、自治体労働者

 今年出版されました韓国人キム・ワンソプ著「親日派のための弁明」(草思社)についての私なりにその目立った論点をここに報告させていただきます。著者は1963年生まれ。韓国で育ったので当然反日感情の持ち主でしたが、海外生活で日本人と接したことをきっかけにして、やがて考えが変わったとのこと。
 この著書で特に私の目を引いた論点は「植民地支配肯定派の論理」で、それはおおむね下記のとおりでした。
◆19世紀初め、ナポレオンの軍隊がドイツに侵攻したとき、哲学者フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という演説で、ナポレオンを侵略者と規定してドイツ国民の団結を訴えた。同じ時期、ドイツの哲学者ヘーゲルは、ナポレオンの軍隊がプロイセンの古い官僚体制を徹底して清算し革命精神を伝播すると考えた。彼はナポレオンこそ生きている世界精神であり、ドイツ国民はむしろフランス革命軍の側に立って旧体制と戦わなければならないと主張した。フィヒテは中身のない民族主義を重視したが、ヘーゲルはその侵略の中で繰り広げられていることの内容に注目したのである。
◆100年前の朝鮮の情況をみると、フィヒテの立場に立っていたのは、安重根や金九のような人物であり、ヘーゲルの立場をとったのは李完用や金玉均、朴泳孝らいわゆる親日派と呼ばれる人物である。こんにち世界の歴史家はヘーゲルの立場に立ち、ナポレオンを偉大なフランス革命の守護者とみなし、彼の征服戦争を世界精神の躍動と解釈している。
◆国益というものが支配者の利益ではなく住民の利益を指すとすれば、住民がより人間的な生活、質の高い生活を享受できるのであれば、国を失うか維持するかという命題は何の意味もないのである。韓日併合は大多数の朝鮮人にとって喜ばしいことだった。だがこれに抵抗した独立ゲリラは、彼らが受けた儒教教育の影響によって、いにしえの朝鮮王朝に郷愁を持っていたり、そうでなければ「独立」を唯一最高のものとみなす誤った価値観をもっていたといえる。
◆国際情勢を見ても、朝鮮と同じ程度の弱小国が独自に生存することはほとんど不可能であり、自主独立と富国強兵を同時に、それも短時日に成就することは、実際には見果てぬ夢だった。改革するには日本と合併するほかなかった 当時の状況で日本式の改革(明治維新のようなブルジョア革命)を追求し朝鮮を近代社会に移行させる唯一の方法は、日本と合併すること以外にはなかった。
◆一つの国家が周辺国を武力で侵略する行為は、どんな名分があろうとも正当化したり美化できないことではある。しかし朝鮮民衆の立場として歴史を顧みれば、日本の朝鮮進出は結果的に歓迎するに値する「侵略」であり、それによって朝鮮は貧困と専制君主制による圧制のトンネルを抜け出し、文明開化された近代社会へと進むことが出来たのだ。
◆朝鮮は人類の歴史上唯一無二の儒教原理主義社会であり、その戒律は、こんにちのイスラーム原理主義とは比較にならないほど精緻かつ厳格なものだったといえる。従って、今日イスラーム原理主義がイスラーム社会に与えている悪しき影響について少しでも考えが及ぶ人であれば、朝鮮の儒教原理主義が、外国の影響が排除された状態で自発的に消滅したとはいえないはずだ。
◆侵略というのは、中国がチベットを侵略したとか、ドイツがフランスを侵略したとかいうように、侵略を受けた側が自立的ではっきりとした国家体系を持っていることが前提になって初めて成立する言葉だ。1900年代前半のアジアには、タイと日本以外に「国家」と呼ぶに値する地域など一つもなかった情況を理解する必要がある。
◆カリブ海のプエルトルコという島国は、19世紀末以来アメリカが統治した結果、貧しい農業国だったのが先進工業国に変貌し、中南米でもっとも豊かな国となった。ところがこういう国にも、アメリカからの独立を訴えて武装闘争を繰り広げるゲリラがある。彼らは恐らく、かつての朝鮮の独立運動家と同じように、プエルトリコはアメリカによって搾取されているのだから、自主独立の成し遂げることこそ未来のための唯一の選択であると住民を煽動しているのだろう。しかし第三者としてプエルトリコを見たとき、アメリカの統治を受けているなかったら、未だにラテンアメリカの貧乏国の一つのままだっただろうに、なぜ独立運動をするのかと理解に苦しむのである。

 以上の考え方は日本の革新系の思想とは違ったもので、私には目新しく思えました。また日本の朝鮮統治の実態も、それを紹介するする者の思想的立場によっては、取捨選択がかなり違ったものとなることが、この本を読んでみればよく判ります。
 朝鮮は東南アジア地域とは異なり、地下資源もなく土地も痩せており、植民地としては最悪の地域であったため、日本は朝鮮経済を速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大し、長期的に日本と繋げて「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」に望まざるを得なかった。そこで欧米帝国主義国とは違った植民地経営を日本はおこなった、など日本の朝鮮支配について著者なりに色々と解説してくれています。
 この著者の立場に反対の人は「さざ波通信」ファンには多いと思いますが、反対派の考え方も知っておくべきでしょうから、一読をお勧めします。