セマウル後の軍政の頃初めて韓国に渡りました。当時、役所に勤務する党員でした。必ず変わる歴史を見たくて、党にも職場にも理をいれず旅行社に出向き旅券を申し込んだところ「治安がうるさいのでツアーに」と勧められました。観光コースを回るつもりなど無かったので往復のチケットだけをもって渡航しました。空港の待合には軽機関銃を構えた迷彩色の兵隊が所々立ち、市内地下道出入口にもやはりいました。延世大学の正門前にさしかかったところ投石がタクシーの頭に降ってきて身をかがめながら覗くと軍隊によるガス銃の発射が確認できました。デパートの入り口には国防本部とかいう看板が掲げられ、月に一度の国防訓練の日にはサイレンの響きと共に逃げ込む場所と聞きました。ビルの何階以上からの写真撮影の禁止もあり、そうとう窮屈な訪問でした。乙支路という市場の近くの安宿に投宿し、大八車とガスボンベを何本も積んだ自転車やバイクを掻き分け、日本語のの出来る人を探し、会話をして歩きました。その後幾度となく往復し一年間はほとんど日本に帰らずにいたこともあります。
そんなわけで通になってしまったのですが今、私の中に一つの疑問があります。過去より北朝鮮の教育が日帝=日本=日本人とされているようです。出生階層も最低との事。もちろん金正日独裁体制を支えるイデオロギーの支柱が反日パルチザンから始まるものであろうかぎりそういう図式にあてはめることがてっとりばやいのでしょうが、同じ感情をもつ韓国人も少なくはないのではないかということです。1945年独立後最初の憲法は漢字でかかれています。
両班の寄生虫貴族政治を解体して植民地とした日帝に媚を売り、志願兵となり、賄賂を渡し土地を譲り受けた輩、旧両班、そんな連中で建国された国ならではの教育もやはり日帝=日本=日本人となるのです。もちろんプラス北=共産主義もおまけにつけて。