私にとり、有田和生氏の『「福祉」の思想を問う』は有益な書物である。
有田氏が問うたことは、民医連運動の淀みをさらにまともなものにするための尽力である。
その有田氏が本欄で、平和会声明についての長文な紹介とコメントを投稿されていた。
私はいま、JCPウオッチで有田和生氏や大学教員や研究者、労働運動家や一般庶民、看護師さん、インターネットファンなど多くのかたがたと、有田さんの著作と民医連運動について対話を重ねている。
それには当該掲示板の管理人高橋貴史氏の紹介や協力によるところが大きい。
有田和生氏は、ここで注目すべき話題「真実と和解委員会」を提供したわかもの社(国忠崇史)さんとも親友である。彼のことを熱心に憂う友人は多いようで、国忠氏の掲示板でも、日本共産党にとって、有田和生氏の動向が処分対象となることを懸念されている友人もいる。
私は以下の引用で、広く奈良・吉田病院で処分を受けた有田和生氏の意見と問題提起とを検討しているJCPウオッチでの対話の一部を紹介したい。多くの読者の皆さんが、日本の労働運動をおきく改善する可能性をおびていた民医連運動のなかでどんな問題がおき、それは私たち現代日本で生きるものたちにとりどのような思想的労働運動的意義があるのかをともに検討していきたいと想う。
(前略-他のかたのレスの部分)
私はこう思います。
本来あるべき姿の形態を追求して、しかるのちに資本主義的形態との闘争を考えるべきかと。
つまり、民医連についても、理想的な医療をもとめた初心が、資本主義社会である以上、医療診療や医療政策、医薬品産業・医療産業の利潤追求のために、おおきく歪まざるをえない現実の矛盾が発生してくる。
その矛盾を解決しようとするみちすじを探究すべきではあるまいかと。
民医連でもいまの日本社会では、資本主義の現実態としてあらわれざるをえない。
それは医療産業だけでなく政府医療政策そのものの低賃金労働医療労働政策や保険・社会保険・福祉・医療政策の貧困さをともなう。
それらの矛盾を一気におしよせてくる以上は、理論やたてまえとして掲げても民主的という冠詞が崩壊しかねない実態をうみだしてくる。
それを民医連そのものを営利的医療組織と同じように、経営や運営を他と匹敵するようにすれば、営利競争に勝ち残っていけるかもしれません。では営利主義医療機関での医療は、もうけ本位であっても、医療として最高の状態で医療をおこなっているでしょうか。
私にはそう思えないし、父母兄が受けた医療とそこでの実態や医療ミスなどをリアルにみてきましたので、そのような大病院とおなじような経営に準ずるべきとはいえません。
このやりとりや周辺に関心のあるかたは直接JCPウオッチに赴かれることをお勧めします。