12月11日付けの木村愛二さんの投稿を拝読しました。最近投書されている木村氏の文章は、私には参考になるものが多い。一般投稿欄も、主題別投稿欄も。
さきほどの木村さんの投稿で「鉄鋼労連書記当時の不破哲三氏の実績はさだかではない」という趣旨の文があった。前後の脈絡で、不破氏の文章の問題を指摘されていて、そのことには異論はない。そのなかの一点について、事実関係として感じたことがあって投稿させていただいた。
不破哲三氏は、鉄鋼労連がまだ労働運動で闘争的な時期に書記を務めたときく。戦後労働運動は、造船や鉄鋼などの重工業から盛んであったが、やがて労働貴族の意識的育成と第二御用組合の出現による分裂へと進んでいった。
労資協調路線は、やがて経営家族主義と一体となり、金属労協などの路線が、総評さえも国鉄や電電公社の民営化や分割などに伴い、弱小化をとげ、ついには連合の結成にまで至る。
さらに1970年代後半からの「企業社会」化路線も、労働運動の低迷の伏線となっていく。
で、鉄鋼労連が闘争を激しく取り組んでいた時期に書記をつとめていた不破氏は、鉄鋼ハンドブックを編集して、以後鉄鋼労連書記局の最初をなしたと、或る労働運動・企業内教育の専門研究者から教わったことがある。
「鉄鋼ハンドブック」は、労働運動を推進していくうえで主観的判断におぼれることを戒め、闘争の客観的情勢を分析するひとつの有効なガイドブックとして以後の「鉄鋼労働運動冬の時代」に入って長い間にも、水面下で影響力をもつガイドたりえたそうである。
上田耕一郎氏に比しても、一歩支持者の人気は劣るかも知れないし、現在の不破・志位路線についても、木村氏がおっしゃるとおり、弱点はあろう。
ただし、歴史的事実については過去にさかのぼるほどうもれていく。若い世代には文献や世間に広く流布している通説が浸透しやすい。事実については、どんな些細なことも「ありのままに」伝えていく努力こそ、若い世代がつぎの高揚期を準備する上での「歴史の教訓」となろうと考え、駄弁を弄したしだいである。