一体この党はこれでも「共産党」と言えるのか。
日本の社会主義運動の歴史上、その初期(いわゆる『明治』期)の段階で、必ず出てくるのが、『大逆事件』である。
このサイトの参加者なら先刻ご承知のことと思いますが、大逆事件とは、1910年、幸徳秋水ら10名の社会主義者が爆裂弾(当時の表現)を密造して、明治天皇を暗殺しようとした、という国家権力の手による完全なデッチアゲ・冤罪・弾圧事件である。
当時の刑法では、天皇・皇族に対する犯罪は罪が特別に重く、その中でも天皇に対する殺人及び未遂罪は「大逆罪」と呼ばれ、一般の殺人罪とは別の犯罪として扱われ、もっとも重大な犯罪とされました。その異常性は、未遂罪と完遂罪の区別がなく、両方とも死刑が適用されたことにも現われています。
裁判も異常で、本来三審制のところを第一審からいきなり大審院(現在の最高裁)で裁判し、それも非公開。弁護士もなし。当然まともな審理はされなかった。結果、当然のように判決は「死刑」。幸徳たちは判決後、即日銃殺刑に処せられた。大日本帝国陸軍、天皇の軍隊の手によって。
これら一連の「事件」はすべて密室的に実行された。世間がそれを知ったのは、すべてが終わった後だった。記事解禁後、新聞は一斉に「主義者の恐ろしい計画」「主義者は恐ろしい考えの連中」と書きたて、世論は一気に社会主義運動に否定的になった。
大逆事件によりわが国の社会運動全般は「冬の時代」に入る事を余儀なくされた。「社会主義冬の時代」とも言う。
指導者・幸徳秋水(伝次郎)ら運動の中心人物の大半を失い、権力と新聞が一体になって強力な情報操作がされて世論の支持はまったく無いどころか、完全に逆風になってしまっている。
依拠すべき組織も、支援してくれる勢力も存在しない。反撃や自己の再構築に重要な役割を果たす経験や教訓もほとんど蓄積がない。
非常に厳しい条件下で戦う時、学ぼうとしてもそのすべが無いのは、なんとも悲しいし、その当時の関係者の精神的苦痛は現代の我々にとって想像を絶するものだったに違いない。
なんだか、書きながら目頭が熱くなってきてしまった。
93年前の同志たちよ!あなたたちはどんなに無念だったろうか!
本題に戻ろう。
大逆事件により、日本の社会主義運動は計り知れない大打撃をうけた。大逆事件がなかったら社会主義運動の展開だけでなく、日本の歴史そのものが大きく変わっていた可能性すらあるのだ。これは決して誇張ではない。天皇制国家権力の側から見れば、小さな仕事をこなしただけで、歴史的スケールの収穫を得たのである。革命の可能性を「双葉のうちに」摘み取ったのである。権力特有の判断だ。
こうゆう歴史的な重大事件を「80年」は書いていない。文部省の検定をパスした教科書ですら記述しているのに、だ。先駆者達が泣いている。この党に、共産党を名乗る資格があるのだろうか。