12/29の投稿の中で、サバティスタさん自身というか、サバティスタさんが紹介する実際に失業している人々の平均的な意見というか、「サービス残業根絶なんて、どうでもいい」という部分に極めて簡単に反論して、12/31に私は、そのまま読めば、「サービス残業が無くなれば、その分そのまま、失業の減少につながる」ようなことを書きました。
それに対して(「特定の投稿者を批判する目的で」ないと書かれていますが)1/1に赤旗読者Yさんから、
サービス残業がなくなった場合、資本家達は、
1. アルバイトを雇ってしのぐ
2. 残業代を払って残業させる
の2つの方法で彼らの問題を解決するだろう、と述べています。
これは、「そっくりそのまま」ということに対する批判としては、当然だと思います。
ただ、1.については、熟練労働の部分をそう簡単に単純労働におきかえられるのか、という問題があります. また、2については、賃金そのものをそれだけでまっとうな生活が暮らせる水準に高めていく運動と並行して、すすめないと、サービス残業根絶の効果はあまりあがらないかと思います.ただ、賃金という契約に関する運動を前進させるためにも、「契約も何もあったものではない」状態を克服していかなければならないと思います.(賃上げと失業減少が相補的なことはいうまでもないですよね.)
赤旗読者Yさんは、「より建設的な発言を」と言われるが、「サービス残業根絶なんてどうでもいい」という論議は「根絶」しないと、建設的な議論はできないと思います.それが私の一番言いたいことです。
学問的には、サービス残業解消の失業減少効果の予測(予測そのものよりそれを通じてその根拠を議論すること)、フランスにおける35時間労働日の経済効果など議論すべきことがたくさんあると思います。どなたかが「科学的社会主義」の欄で建設的議論をしていただくことを望んでいます。