近頃、散見する表現に次のようなものがある。
「~と訴え、論戦をリードしています」。これでは、たとえ負けでも、論戦には勝ったという言い訳である。論戦に勝ってるか、負けてるかなんて、主観的に基準でしかない。
また、「ぎびしいが、一方では、情勢は前進できる可能性が持っている」。これでは、勝ったら幹部の功労、負ければ、勝利へ状況を切り開けなかったおまえらの責任と言っているに等しい。
もし、違うならば、「勝算がるのに、勝利へ導けないとすれば、それは、すべて指導する側の責任であると考えています」と明確にいったらどうでしょうか。客観性を装った、責任のがれな便利な表現は、もう止めてもらいたい。