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不審船というお芝居第三幕・引き上げの茶番(2)引上船は沈没船と違う

2003/2/15 本間正勝、60代、なし

 船にも、顔がある。
 引き上げられた不審船は、その顔が切り取られていた。
 真相を知られないために、犯行者がよく使う手口でもある。
だが完全犯罪は、容易くは無い。
 顔を切り取られた不審船には、証拠が残されていた。

 引き上げられた船は、沈没したとされる船と、個体が違うのである。

 船には、救命筏が備えつけられている。
 色々な型式があって、筏を収納したコンテナを装置する架台も種類がある。
 航行している長漁3705(以下、航行沈没船をA船とする)操舵室上の筏架台装置は、角度が8度くらいで投下用引手棒をひけば、ピンが外れて立 ち上がり船外に落下する方式なの対し、引き上げられた船(以下、B船とする)の架台角度は、50度も傾いたもので、投下用引手棒をひけば急傾 斜のために、転がり落ちる旧形式のものである。

 厨房室の屋根に、後部マストが立っている。
 マストを支える∧型に開いた支柱に、梯子の足掛けのような横棒が渡っているが、A船は3本なのに対し、B船は4本なのである。

 操舵室の屋根には、前後左右に手すりが付いていて、左右の手すりは、それぞれ縦棒8本横棒2本で構成されている。  縦棒の前から3本目と5本目の間(操舵室の出入り口の真上にあたる)の下方は、登録板などを取り付けられるように、A船は凹に窪んでいるのだが、B船の屋根の手すりは、一直線で凹は無い。

 不審船の巾は5メートルという。
 引き上げられた時の真上写真で計測すると、操舵室など部屋の巾は、3メートルなのだが、海保の発表では、引き上げられた屋根は、船橋のものが、約4メートル×約3メートル、後部甲板室の屋根が、約6メートル×約4メートル、と、A船のでもB船のものでもない、別船の“小道具”なのである。

 上記の違いは、破損に依る変形ではなく、構造的な相違であるから、決定的なものである。

 沈没したA船と引き上げられたB船が違うということで、注目されることは、B船には、航行痕が無いことである。
 通常の船なら、水の摩擦痕や海草、貝類が付着するものであり、とくに喫水線境は、何らかの痕跡が早々に出来るものだが、B船は進水したばか りの様相を示している。
 菓子袋が見つかっても、15人ともいう乗組員の生活の痕跡、居住の部屋も無く、鍋釜類の食器など全く見つかっていないという、このB幽霊船は自走していたのでなく、運ばれてきた可能性を秘めている。

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 余談だが、
 政府が引き揚げ作業を始めることを正式決定し、引き揚げ費用約59億円を予備費から支出することを閣議決定したのは、6月21日だった。
 引き揚げ作業を委託されたサルベージ会社の新洋丸や新辰丸が、出港したのは、6月24日である。

 作業手順も6月21日には決まっていて、その中に、【クレーンでつり上げて台船船尾に設置した★プールに収容する。】というのがある。

 引き上げは、多くの関連作業との連携で行なわれるが、不思議なことに主役の台船が「第60吉田号」であることを発表したのが、8月2日になってからである。
 訳のわからぬ理由をつけたが、極めて不自然なことである。

 それと、引き上げ地点からドックへ移送する間のために、上部が切断された船のサイズに合うプールを作ったことである。
 有るかも知れないという爆発物のために、水に浸けるのは必須なのか。【腐食を防ぐため】【船体が乾燥しないように】【空気に触れて酸化するのを避けるため】に、海水で浸すという発想は、正気の沙汰ではない。

 プール上部にシートを掛ければ、収容しているものが、何であるかは判らない容器を作ったこと。
 そして、その容器を積んだ台船名が発表されたのが、引き上げ間近になってからであるのは、奇妙なことである。