すごく疑問に思うことがあります。
共産党のあり方には、?を持っている者です。でも基本的には指示しています。いま共産党を批判するだけで、日本を変えていくことができるのか、疑問を持っています。趣味で共産党批判をしている人は別ですが、今の世の中で必死になっている者にとって、どうしたら、日本の諸問題を変えていけるのかなあと思っています。ただ、共産党を批判すれば、日本はよくなると言うような、そんな問題ではないと思います。もっと違う意見の表現の仕方があるのではないか。
今、太平洋戦争の悪夢が忘れ去られ、「戦争」と言ってもまるでゲームのような感覚で受け取られているような雰囲気があると聞いています。私は、戦争を実体験した世代の人間ではありません。しかし、父母や祖父母から、また学校の先生や書物から、日本が体験した悲惨な戦争の話を聞き、非戦闘員が、また戦争に借り出された普通の人間が、地獄を味わった事を知り、二度と戦争をしてはならないと強く思っている人間です。それは、単に自分の知っている人がひどい目にあったと言うだけでなく、アジア各国の人々に言いしれぬ屈辱を与え、命に関わる重大な過ちを犯したことも含めてのことです。
今、北朝鮮の拉致問題が大きく問題になっています。北朝鮮の国ぐるみの拉致というのは本当に許すことのできない犯罪です。そのことを許そうと思ったりするつもりは毛頭ありませんが、その問題を考えるとき、日本軍国主義がかつて朝鮮・中国・アジア各国にしてきたことをしっかり考えることを抜きにして、北朝鮮非難はあり得ないと思っています。
こともあろうに、拉致問題を発端にして、在日朝鮮人の北朝鮮帰還を攻撃する勢力がありますが、何をかいわんやであります。なぜ、「在日朝鮮人」という言葉が生まれたのか、そのことを歴史上の事実としてきちんと学習した者であるなら、反省こそすれ、帰還問題を非難する資格はないはずです。日本が、朝鮮の主権を踏みにじり、強制連行をはじめとして、朝鮮の人々が日本に来なければならない状況を作ったのです。手段の方法の違いこそあれ、日本にとって、本来なら拉致を非難する前にきちんと反省し、処理しておく問題だったのです。そのことをいい加減にしておいて、「拉致は許せない。」と言うのならともかく、「日本から北朝鮮へ返したのは問題だ。」などとよく言えたものです。
その点で、公明党の節制のなさには驚くばかりです。自民党や共産党・社会党(社民党)が、それぞれスネに傷をもっていることはよくわかります。各党とも、現代の視点から過去をふり返り、それぞれの立場から反省してほしいと思います。しかし、公明党はいったい何を主体的にしたのでしょう。時流をうかがい、そのときに自分たちに都合の良い選択をしてきた政党に、他党を非難する資格があるのでしょうか。こういうご都合主義ですませてきた政党が公明党だと言うことを、今こそ日本国民は肝にめいじるべきです。
私は、主義主張は違っても、自民党・社会党・共産党は、その時代において、自分たちの考えをもとにして判断してきたことを忠実に行ってきたと思っています。でも公明党は、私利私欲しかありませんでした。公明党をこのようにのさばらせておいたからこそ、日本は今混迷しているのです。日和見主義の手本である公明党を許すことはできません。