不審船というお芝居第三幕・引き上げの茶番
(1)犯罪的な海保による情報操作
沈没した船は、船橋は床辺から、船橋前の低い部屋は甲板から、機関室と厨房室は、甲板の約60~70センチ上の壁が、それぞれ定規を当てて
切断されたように、顔の無いノッペラボーの様相で引き上げられた。
引き上げる前の調査は、2/25~3/01に水中カメラ、5/2~5/7に有人潜水に依って行われたが、その調査結果について海上保安庁は、欺瞞的な情報操作で、マスコミ即ち国民を翻弄してきた。
船橋や部屋周りが切断されていることは、2月の水中カメラ調査時に判明しているのだが、一部マスコミには、ウソ情報を流している。
少しくどいが、摘録してみる。
産経 09/14 (註、引き上げ日は、09/11)
【船橋は、既に崩れ、原形をとどめていないという。2月の水中カメラによる調査の際には、まだ脱落していなかったという】
日経 09/14
【船橋は当初、ほぼ原形を保って沈んでいたが、長く海中にあったことで損傷し、バラバラになっていたという。】
南日本 09/15
【船橋部分は2-3月の水中ビデオカメラ調査では原型に近い状態だったため、十管は調査後に崩れたとみている。】
西日本 09/15
【二月の水中カメラでの調査時には、天井や側壁がつながった状態で確認されており、その後、潮流などの影響で壊れたとみられる。】
タレントの、噂のたぐいでは無い。
59億円もの税を投じ、有事法関連の、軍事的法整備の導引ともなった重大な“事件”を担当した公務員が、国民を平然と欺いたのである。
その一方で、前記4社外の中央3紙には、船橋(操舵室)“脱落”の情報を流していて、毎日は、3/2。読売は、4/1。朝日は、4/2の記事で、
【沈没直前の爆発で吹き飛んだ】ように報道している。
“脱落”も“バラバラ”も“崩れた”も“潮流で壊れた”も“爆発”も“吹き飛んだ”も、愚民視した海保係官の言葉なのであろう。
朝日 04/02
【操舵(そうだ)室などがある船橋(ブリッジ)は、船体から離れた場所で見つかった。遺体や船体の損傷は、沈没直前に船内で起きた爆発の衝撃を裏づけるものと、海保はみている。】
読売 4月1日
【ブリッジは、沈没直前の爆破で吹き飛んだと見られ、………】
毎日 3月2日
【沈んだ不審船は、船体中央部の操舵(そうだ)室の大半がなくなっていたことが政府関係者の証言で1日、明らかになった。】
ところが、同一構造物の鉄鋼版の一部が、直線的に“脱落”する筈がないのを、言い訳でもするかのように、毎日・読売には、“船橋は木製である”というウソ情報を、上乗せしていたのである。
毎日 9/12 (註、引き上げ日は、09/11)
【木製の船橋部分の大半は脱落していた。】
九州読売 9/13
【ブリッジは木製で破損しており、原形をとどめない形で海底にあったという。】
“船橋は木製である”という記事が、2社にまたがっていることは、記者の聞き違いで無いことを意味する。
不審船の引き上げに関わる報道は、事柄の性質上、殆どが海保からの情報に依ると思うが、9月14日になっても、【船橋は、2月の水中カメラによる調査の際には、まだ脱落していなかったという】と記事した産経は、船体の引き揚げ作業の委託を受けているサルベージ会社の担当者が、月刊誌「世界の艦船」(海人社)9月号に報告した【船橋を含む上部構造物は本体から分離していることが確認できた】という情報を得て、真偽を海保に問い合わせしたらしい記事を、7月27日に載せている。
これに対しても第十管区海上保安本部(鹿児島)は「(沈没から半年以上たち)完全な原形であるはずはないだろうが、具体的にはコメントできない」と、欺瞞的不誠実な対応をしている。
例えば、2月の水中カメラ時には、十管の黒木正警備救難部長は『写真を公開した船首左舷部分以外の船体の状況については、捜査に支障が出るのでコメントできない』と言い、5月の有人潜水調査時、巡視船あまみの船橋から回収されたという14.5㍉の弾頭の口径に合う、レールを使って引き出すという二連式機関銃が、海底から引き上げられた時も、黒木部長は『銃砲類とみられる』『詳細はコメントを控えさせてもらいたい』という隠匿行為に、記者から『国民の関心事に、コメントできないではすまない』と批判が集中した経緯もある。
その海保が、質問されたことでも無いのに、“船橋は木製である”とか“二月の水中カメラでの調査時には、天井や側壁がつながった状態で確認”という、犯罪的なウソ情報を流す意図は、何か??
海保がこれまでに行った報道陣に対する公開は、4回ある。
① 09/11 海底からの引き上げ時、報道陣を乗せた巡視船「くだか」から、約1キロ離れての双眼鏡観察。 写真は航空機からのもの。プールに入れてから、すぐにシートで覆ってしまった。
(註)10/06 陸揚げ作業は、非公開。
②10/5 陸揚げ前、 プール内の工作船公開、プール上から眺める位置。
③10/07 扇千景・国土交通相が視察した日、観音扉を開けて公開。
④10/20 小型船など、“7つ道具”を公開。
10/07の観音扉公開は、海中で開閉するという信じ難いポイントの一つであるが、報道された各社の観音扉の写真は、一極点からの同じアングルで、寸分の違いも無い全く同じものであった。
掲載写真には、(代表撮影)という種明かしが添えられていた。
恐らくは、船尾にすら近づけない工夫がなされた上の、舞台裏を覗かれない苦肉の策だったのであろう。
扉の裏側や開閉の仕組みなどを、覗かれては大変な事情を、海保は秘めている。
船が引き上げられた時、船尾の左舷、海水の浸る下半分は、裂け目の無い船体そのものであったが、台船のプールに入っている間に、30センチ程折り曲げられ、蝶番風(毎日新聞)に加工されているのである。(写真でも公開されている)
10/20 の“7つ道具”の公開には、【県内外から30人以上の報道関係者が訪れた。海上保安官が監視する物々しい雰囲気の中、30分の短い取材時間で慌ただしくメモを取り、盛んにシャッターを切っていた。】(南日本新聞 2002/10/21)と、徹底的な取材制限をしている。
不審船は、鹿児島港谷山岸壁の民間ドックの、特別に建造した屋根付きの格納庫の中で、更に船の上部をテントで覆い、周囲にはセンサー付きの
鉄条網を張り巡らし、海保本部の職員らが24時間体制で警備についている。(鹿児島新報、西日本新聞)
ドックの幹部男性によると「(船体は)今後は厳重に管理され、社員でも見られなくなる」(西日本新聞2002/10/07)という。
10/20に、小船を引き出して公開したが、再び船に入れた上、扉との間には、駕篭やロープ類ようのゴミを、わざわざ集めて積んである。
人の出入りをも阻む意図が、歴然としているのである。
拉致にも関わったとする不審船の異常な機能を、国民に充分公開すべきであるのに、何故、実態を隠蔽しようとするのであろうか。
それは、引き上げた船が、沈没したとされる船と、違うからである。