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「日本共産党の八十年」に学ぶ

2003/2/7 大塩平七郎、50代、労働者

 2003年1月刊行の「日本共産党の八十年」(以下「八十年」と略記)を入手、早速ひもといてみた。本投稿では、私の関心分野たる<日本共産党の自衛隊論>に関して、レポートすることにした。
(1)
 焦点は第三章第二節であるが、その前に、初歩的な誤記を一つあげておく。

 15頁「…日清戦争(一八九四~九五年)では、中国から台湾や遼東半島をうばいとり、これを植民地としました。」

 言うまでもなく、遼東半島は三国干渉によってこのときの領有は見送られ、日露戦争後にロシアから租借権を継承したものである。「新しい歴史教科書」でもあるまいに、こんな誤記はごめんこうむりたいものである。
(2)
 さて、主題の第三章を見よう。

 70頁「…四五年六月には、世界の平和と安全の維持のための国際機構として、国際連合(国連)が成立しました。」

 このくだりは「日本共産党の七十年」(以下「七十年」と略記)には無い記述である。このような没歴史的で無限定な規定は、現在の党指導部が掲げる<国連=正義>論を導くための布石と見るのが妥当だろう。319頁「報復戦争ではなく、国連を中心にした制裁と“裁き”によるテロ根絶の道を提案しました。」との不破・志位連名書簡の自画自賛と見事に平仄が合っている。
(3)
 次に、日本共産党の憲法論を見よう。日本国憲法草案の採択にあたって、日本共産党は反対の態度を表明したわけだが、その理由として、<天皇条項が主権在民と矛盾すること>と<自衛権の否認は日本の主権と独立を危うくする>との二点を掲げている(83頁)。
 詳しくは次の通りである。

 「二つ目に、党は、憲法九条のもとでも、急迫不正の侵害から国をまもる権利をもつことを明確にするよう提起しました。しかし、吉田首相は九条のもとで自衛権はないとの立場をとり、党は、これを日本の主権と独立を危うくするものと批判して、草案の採択に反対したのでした。」

 この見解は、革命政権樹立後の憲法改正課題として、日本共産党が戦後長く掲げてきた政策に見合うものであって、旧日本社会党の<非武装中立>に対抗すべく唱えてきた<武装中立>の立場に沿うものである。
 しかしながら、現下の状況で武力の肯定を露骨にすることは避けようとしたのか、<武装中立>という当時の本来的な主張をあいまいにして、「自衛権」の肯定に止めているのが姑息である。上記の記述に続いて、

「その後、戦争を放棄し、戦力の不保持をさだめた憲法九条のもとでも自衛権をもっていることは、ひろくみとめられるようになりました。」
 とこともなげに記している。
 現代の憲法論の到達点は、「自衛権」が九条解釈において<そもそも問題になる余地はない>(浦部法穂著「全訂 憲法学教室」第6章第1節参照。日本評論社2000年)ことを教えている。いわんや「八十年」の説くがごとき無限定な「自衛権」の肯定は、いわゆる多数意見にも入らない俗論であり、今日、憲法改悪反対運動をくりひろげている市民運動の学習活動に<敵対>するほどの悪論である。
 なぜ、かくのごとき俗論が登場したのか。ひるがえって「七十年」を読むと、草案反対理由は<天皇条項>だけに限られていて、<自衛権>問題には一切触れていない(上巻180頁)。このブレは重大である。
 そのカラクリは、22回大会における<自衛隊活用論>決議に見いだされよう。<急迫不正の侵害に対する自衛権の行使=自衛隊の“活用”>こそ、わが日本共産党の現代における<売り>だからである。かくして、「七十年」では捨てられた<武装中立>の主張が、武装の部分を巧妙にぼかしながら拾い上げられ、あたかも憲法学会の多数意見でもあるかのように装って、復活させられたのである。
 ただし、あれほどの議論と異端排斥を伴った騒動にもかかわらず、22回大会の記述では、<自衛隊活用論>は後背に退いて、「二十一世紀の早い時期に憲法九条の完全実施と自衛隊の解消に向かうための段階的な展望をしめしました。」(306頁)と美しいコトバで語られるのみである。
(4)
 そのほか、市民運動に関わる問題として、
1963年の「いかなる国」問題での一方的記述(168頁)。
1972年の「新日和見主義」粛正事件に関する記述が無くなったこと。
1984年の日本平和委員会・日本原水協粛正事件に関する口汚い記述が無くなったこと。
 この3点が目立つところであろう。72年・84年の犠牲者をどう遇するというのであろうか。
 以上、垣間見た範囲でも、御都合主義の党史の面目をしっかり見届けることができるだろう。