萩原遼氏の活動を、「スパイ取材」と貶めたことに、素直に、反省し、謝罪したいとおもいます。
私としては、怒涛のごとくあふれかえる北朝鮮バッシングに、拮抗するべく、感情が沸点に達していたということもありました。
よく考えると、萩原氏の人となりを十分理解しないまま、朝日の投稿文から受けた印象をもとに、世論も含めて反応してしてしまった嫌いがあります。今後、萩原氏の著書も含めて、赤旗時代のことも理解に努めたいとおもいます。
この件で、さざ波の編集部から、忠告を受けましたことも、あわせて、お礼もうしあげます。お手数おかけしました。
中村氏の「フセインが好ましからぬ人物である云々」に?を付したのは、「イラク攻撃反対」のデモの際、あえてこのことに触れる必要があるのか、という意味で?をつけました。また、短所をいうなら、長所もいうべきでないと、バランスがとれません。フォト・ジャーナリストの豊田直巳さんにいわせると、フセインは、せいぜい、日本の田中角栄ぐらいのワンマンであるということです。
私は、けっして、アメリカの応援下、アメリカの意図が大半あった「クルド人虐殺」や国内の言論弾圧を肯定するものではありません。あなたが指摘するように、どこの国であれ、権力者は、多かれ少なかれ、ファシストです。ロシアのプーチンがチェチェン人蜂起を一般の民衆ごと、毒ガスで虐殺したことは、記憶に新しいことです。しかも、寸前まで、夫を家族を連行、リンチ、虐殺し、弾圧しつづけていました。
マイノリティー・民衆派は、いつの時代でも、弾圧される側です。私の視点は、いつも、この、やられる側、弱者にいってしまうのです。この、弱者の視点が、今の状況下では、複雑に絡み合う事件のなかでみえにくくなっています。
今、戦時を前にして、大局的な見地にたって、冷静に、必死で考えるときなのでしょうね。