投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

新宿駅東口地下、「FOODOCKET]街の喫茶店BERG行ってきました

2003/3/23 長壁 満子、40代、金融

 菅井様、ご紹介のコーヒー飲んできました。仙台の友人と、国立での集会に行った帰りに直行しました。戦争反対とセンスのいい看板が入口にありました。パンもとてもおいしく、なにより、青年3人の誠実な対応は高感度100%。
 ちなみに、菅井様のメールをみせて、PRしておきました。迷惑だったでしょうか?
 ともかく、連日の恐怖で、精神が酷く、もろくなっているときでしたので、ここでの時間がどんなに心を安らがせてくれたことか・・・ありがとうございました。こうした自由な喫茶店が、どうか、なくなりませんように・・・
 サンデー毎日の件、3月30日号「命奪われし者たちの叫びーーイラク・アメリア・シェルターの悲劇」400度の超高温で焼き付けられた人影・・・湾岸戦争中の19991年、2月、「ワンポイント攻撃」を受けたイラクの首都・バグダッドの住宅地にある、アメリア・シェルター・・一般市民用の、防空ビルで422人のうち、408人が死亡。うち5歳以下の子供52人死亡。
 壁には、女性の人影、大きく口を開けている男の顔をが焼きつき、地下室の壁には、眼球や皮膚が張り付いていた。
 この身の毛もよだつ「汚なごと」を実行したのは、まぎれもなく、アメリカを中心とする、多国籍軍である。このとき、アメリカが初めて用いた劣化ウラン弾の悲劇は、今現在、イラクの子供たちを地獄につき落としている。
 この現在進行形の悲劇を、隠蔽するかのように、また、米日英の少国籍軍は爆撃を強行。このときより、更なる巨大な、大量破壊兵器を用いて・・・
 当時のフセインの使用した、全ての兵器、マスタードガスも、アメリカが提供したといわれている。クルド人虐殺も、先にやったのは、イラク兵ではないーーという説もある。フセインの強権政治が通説になっているが、私が耳にするものとは、かなり、断絶がある。
 どっちがどうだと、私はいわない。ただ、「勝てば官軍」という言葉がある。それに、汚いプロパガンダをより、強行に使用できたのは、まぎれもなく、アメリカであり、大国であるというのは、理解できるだろう。先の原稿で、イランと間違えたが、アメリカのプロパガンダのひとつ、保育器から未熟児を取り出し、道端に投げつけたと嘘の証言をしたのは、クゥエート大使の娘だった。
 それに、私がこれだけは、わからないのは、当時、多国籍軍の武力行使なのだから、その実態は、国際戦犯法廷なりでフセインを裁くなりなんなりできたはずである。12年間の空白云々ともいわれるが、この間、とにもかくにも、経済制裁で、あるいは、戦争の被害で(イラン、クルド人ももちろんだが)、地獄に苦しむ国民を含めてイラクの大統領としてあったというのが、事実である。サウジアラビア等王政ではなく、民主的な選挙でえらばれているのである。