新宿西口地下広場という空間がある。都庁ビルや新宿中央公園などにつながる、JR線新宿駅西口改札前の地下スペースである。ここは、1960年代末、毎週土曜日になると反戦派の若者たちが満ちあふれて、フリーコンサートが催されていた場所だ。当局は取り締まりのために、ここは「広場」ではなく、「通路」だということにして、できなくした。だから、今でもここでしゃがみ込んで携帯でも使っていると、即座に警備員がやってきて、座っていることはまかりならぬ、立て、と言われる。「通路」だからだ。
(http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/aw/awr0914.htm)
数年前には、ホームレスの段ボールハウスが周辺に林立したが、それも今はない。取り除かれたスペースは結局移動商店や物産展などのためのレンタルスペースとなり、夜には戸が締まるようになった。都庁に向かう方面には「動く歩道」が設置されて、道幅は半分になった。ここも夜になると、立ち入りできないスペースに変わる。
今、ホームレスは都庁の先、新宿中央公園で暮らしている。
21日、新宿西口地下広場では「北朝鮮拉致問題解決国民会議」という団体の署名行動がされていた。通りかかると、スピーカーの野太い男性の声の演説。声の方向を見ると、机がおいてあって、その上に拡声器が置いてある。しゃべっている男はいない。録音であった。新聞記事、雑誌記事を4,5縦につらねて拡大コピーした、同じ貼り紙があちこちに貼られていて、この会のものだと読める。一番上の見出しは「ふざけるな、北朝鮮」。実際に「北朝鮮拉致被害者救援」のための署名板をもって立っているのは中年女性数人。署名している人はその時はいなかった。
同日、産経新聞には拉致被害者家族の会の蓮池透氏のインタビューが掲載された。
現在の日本社会の変動は、小泉内閣の成立をきっかけとしているが、国民と国家の乖離という現実を目に見えるようにして示したのは、この会の動きだったと思う。この一市民団体は、小泉首相が起死回生の策として打ちだした日朝共同宣言を機能不全にし、ほとんど死に体にしてしまった。5人を帰国させたのは、小泉首相の功績だとしても、それを朝鮮にもどさない、というのは、まぎれもなくこの会の、ないしは蓮池透氏の固い決意にもとづくものだった。それが、政府の態度決定を直接にゆさぶったのだ。
それは驚きだった。そして、それを驚きと感じる感性が、国家というものは、われわれの意志や願いによって動いているものではない、という事実(常識)を証明しているのだ。
国家を動かしている政治家は、官僚や財界とは懇談して意思決定しているだろうが、それは賃金労働者、庶民、市民とではけっしてない。
だから、この例外的な事態、市民団体による国家に対する影響力の出現、選挙とか陳情とかいう既成のシステム内化された間接的なものでない、無視できないつながりの出現は、政治についてのもう一つの可能性、民衆の権力の可能性を示している。
イラク侵略への反対運動も、逆説的だが、この会がその可能性を示したればこそ、力強く進められていると私は考えている。
もちろん、蓮池透氏もそういう可能性を明確に自覚している。
氏は「私達(拉致被害者家族)は二つの国(朝鮮、日本)と闘わなければならなかった」とし、「国の無為無策、当事者意識の欠如、国の不作為を訴えるために(この本を)書い」た。「この国にいれば、同じ目に遭う(突然拉致される)可能性は国民全員にある。弟は運が悪かったという人もいるかもしれないが、そういう人も同じ目に遭えば、同じように国に扱われるということを警鐘として鳴らしたかった。手記のタイトルも、…(省略)…返してもらうという弱いものではなく、奪い返すという強い意味で『奪還』とした」という。
来月の5月7日には国民大集会を開くという。「世論をさらに盛り上げ、国や外務省を突き動かさなければいけない。国民の皆さんの関心を集められるなら何でもする。訴えるところがあればどこにでも行く。あらゆる手段を使って国民の皆さんに話をしていきたい。」と断固として言う。
この、国民大集会なるものが、日本の変動にとって少なからざる影響をもつ要素になることを私は疑っていない。