「AU」構想ですが、まだ架空の構想ですが一応聞かせて下さい。東アジアに限っているようですが、なぜ北朝鮮が入っていないのですか。台湾が入っていて北朝鮮が入っていない。論理的な根拠は何なのか分からない。国家体制に対する好き嫌い(これは国家ではない、とかの)で国家の存在を認めているように感じます。もしそうだとしたら、客観的な分析は、国家単位に対してはできないということになります。となるとAU構想なるものも単なるゲーム感覚の域を出ない、ということになると思います。
「国連外交」についてですが、日本が負担金を払わないといえば、アメリカは「では別の新しい世界のための国連を創ろう」と言いだすかもしれません。負担金の大小云々、それこそがロビー外交の中身なのではないですか。世界政治は一国の思惑とか予算の大小だけとかで平和に一直線という訳にはいきません。民族には民族の歴史があり、国家には国家の歴史があります。国民にはその国民の歴史があり、紐解けばその家系の歴史もあります。「戦勝国の拒否権」については、私も理不尽さを感じています。大量破壊兵器を世界で一番持っている国が、他国のそれについて異議を唱えるという理不尽さと同じと思っています。国連が必要ならばやはり世界の国々が智恵を出すべきと思っています。今はまさにそういう時代に入った、と思います。小泉政権は国益は別にして真剣に考えるべきと思います。シミレーションはゲームと現実とは全く別のものです。現実の方が情報にしても人間の大小にしても時間にしてもその他諸々にしても、圧倒的に絶大です。そこの差を感じて「鎌倉さんは冷めている」という表現を使いました。
国益は辞書では「国の利益」としています。いつでしたか、誰かがテレビの中で「国民益」という言葉を使いました。それ以来私も使っています。「国の利益」に対して「国民の利益」という意味です。意味の中身が違ってきます。瞬間の時代には同じだと誰かは言うかもしれませんが。