与党候補を落とすために、野党で連立候補を立てる、あるいは野党候補のいずれかが身をひく、という意見がありますが。
私はその意見には、強い抵抗感があります。
ほとんど同じ政治理念、政策上の共通点が非常に多い場合なら、それもありだと思いますけども。
「与党を勝たせないため」という目的は、私はあまり正当性があるとは思えないのです。
野党候補の票を足して、与党に勝つという戦略は、各候補を選んだ、一人一人の意志を尊重してると言えるのでしょうか。
単なる数字として計算してはいないでしょうか。
自分の考えと同じ政策の候補を選ぶという、基本原理が崩れてしまう危険性があると思います。
私はもっと他に、選挙に関してするべきことがあるのではないかと思います。
数日前、ニュース番組に出ていた三重県知事は、確か「マニフェスト」とかいう提言をしていました。
選挙公約を、あいまいなイメージでなくて、具体的な契約(誓約?)とするものでした。
例えば「福祉を充実させる」じゃなくて、「3年以内に、特別養護老人ホームの入居者数を、300増やす」というように、具体的な数字を示すというものです。
私は、これこそ共産党が真っ先にやらなくてはいけないことだ、と感じました。
三重県知事は、「今まで民主主義が無かった」とも言っていましたが、その通りだとも思いました。
私が思うに、選挙権や選挙制度と言うハードがあっても、「どうやって良い政治家を選んだら良いのか?」というソフトが無かったのだと思います。
選挙戦のとき、なぜ名前ばかり連呼する選挙カーがまかり通ってるのか?
それは、政治家を選ぶ私達国民の意識レベルが、極めて低いことを物語ってるのだと思います。
名前ばかり連呼して、それで通ってしまうのです。
これは、今の無党派層の多さ、投票率の低さとも密接な関係があるはずです。
自民党は国民から政治を遠ざけようとして、それに成功してるのだと思います。
私が共産党に期待したいのは、自分の売り込みを抑えて、政治そのものと国民の距離を近づけることです。
「自民党の国民いじめ」「小泉政治の痛み」など、それは事実だと思うけれど、政治から遠ざかってる国民が聞くと、それは共産党の自己宣伝にしか思えないのではないでしょうか?
「何が正しい・悪い」を主張することをメインにするのではなく、政治と国民の距離を縮めることをメインとした方が、結局良心的な政党に支持が集まると思うのですが。