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根源的民主主義について・・・

2003/4/16 ふみ、40代、自営業

 この季節になると、近所に隣接している高校は、応援歌練習なるものがなされる。それがSOHOで仕事をしている私は、うるさくてうるさくて仕事に集中できない日々をおくる事になる。
 承知の通り、高校の応援歌練習は、生徒にとってその出席は、授業時間をオーバーしているにもかかわらず義務だ。私もそうだったが、この応援歌練習が嫌いな生徒が沢山いるものだ。私にみたいに、授業時間外に強制されるのが納得できない奴がどこにもいるもので、教師や応援団に竹刀や木刀で殴られながら拒否し、自由と民主主義の為に闘ったもだった。
 生徒総会もそうだ。だいたい、この生徒総会に出席したくな い奴が沢山いる。教師の検閲を土台に作られる議案書には、生徒の要求とはほど遠い内容が明記され、その議案書に対して、反対討論をしたり、制服の廃止の議案を提出したら、教師に竹刀や木刀で殴られるのが当たり前だった。
 こんな状況下で私は、この牢獄のような高校を早く卒業して、自由と民主主義が花開いている大学に入りたかった。受験する大学を選択する過程でも、学びたい学科のある大学であるとともに、学生運動が比較的盛んな大学を受験して入学した。
 大学で学生運動をしたのであるが、学生大会は、高校みたいに強制的に参加させるのではなく、自由意志だ、当然、参加してくれる学生はすくない。  朝はやくから大学に行き、毎日朝や昼に正門でチラシを配布したり、拡声器でアジプロをしていた私は、全学で私を知らない学生はいなかった。学生運動に参加してくれる党員がいなくなる過程の中で、私は、スターリン主義を掲げる共産党もどきを排除し、非共産の仲間を集めて、学生の潜在的な要求をあつめた独自の学生運動を組織したのだった。これまでの共産党の運動のパターンを排除し、マスコミュニケーションの手法で展開されてこの運動の最中に行われた学生大会は、全学の3分の一以上の学生が参加したものになった。
 そうです。高校みたいな強制でなく、マスコミュニケーションの手法を試行錯誤し、潜在的要求があれば、学生はみずからの意思で学生大会に出席でき一体化できるのだ。
 あれから20年、全学連はまだあるの・・・