私は9・11以降、一人の生活者としての視点で、戦争を検証してきた。少ない資料いや、膨大な情報の中からと言った方がいいのか、テレビ、新聞、講演、体験者の話、書物等々のなかから、人間としての真実を見逃がさないように、行間から、語りの沈黙のなかから、目を凝らし、その意思をくみとってきたつもりだ。
そうして視えてきたものは、巨大なごまかし、謀略、恐怖・・・この世を、この地球を動かしてきたものの正体のおどろおどろしさに、慄然とする。
昨年のシャトル爆発の件もまた然り。「そうではないか」と、予感していたが、アフガン、イラクの現地にいく米兵の構成員と通ずるものがあるのでは・・・と。確たる自信があった訳ではなかったけれど、きしくも、本日の朝日新聞13面には、米軍支えるマイノリティー 戦死者目立つ黒人やヒスパニックーーと題して、底辺の人間が戦争を支える構図を浮き上がらせている。朝日のこういったバランス感覚を私はかう。
某世論調査では、3人に一人が「米兵の戦死者が5000人までなら許容できる」と答える米国である。日本ならどうか。
「徴兵制の廃止から30年間、米国は兵役の負担を貧乏人とマイノリティーに押しつけてきた。政権を担うものがイラク攻撃にかくも熱心なのは、息子や身内が戦場に行く心配がないためだ」確かに、日本でも、この道理に合わない米国に涎をたらす輩は、間違っても、戦地には行かない類である。まちがっても、弾圧とは、遠い世界の住人たちである。このことを、石原・小泉支持者はよく、わきまえたほうがいいだろう。
「もし徴兵制があって、人的犠牲を国民各層が引き受ける状態だったら、この戦争に対する、より正しい認識を米議会と米社会にもたらしたはずだ」と語る、イラク攻撃に反対したランゲル議員の言葉は、私たちに戦争の本質をつきつけてくるのではないか。
これに対し、右派の論客として知られるウィリアム・バックリー氏は「黒人は貧乏だから志願するのではなく、軍隊の方が一般社会より平等だから入隊するのだ」とほざく。どこの世界にも、こうした、鈍感冷酷人間はいるものだ。軍隊にしか、平等がないこと事態がおかしいのである。
これはすべて、イジメの構造でないか。
軍隊にはいらざるをえない貧困層、除隊後、学資の特典などをエサに、未来を夢見た青年が戦地で永遠の眠りにつかされる。祖国のために、自爆テロを選ぶしかない青年がだぶってくるというものだ。
翻って、なけなしの核を、微量破壊兵器を備えねばならない北朝鮮、イラク、その他の小国・・・一寸のゆとりも与えられず、緊張を強いられ続けてきた不安定な国々、政権途上の不完全な国々、外からみれば非民主的な国もまた、アフガンのように、長老がしきる部族社会で、伝統に基づいた豊かな生活があった国もある。
今、現在、世界は、
いつ、米国に、皆殺しの標的にされるやもしれぬ状況のなかで、米国にすりよるイギリスと日本、抗おうとするドイツ、フランス、中国、ロシア、より鮮明に意義申し立てをするシリア、北朝鮮・・・どの立場に甘んじるのかが、問われている。人間か否かがと問われているのだ。
この三つ巴の絡み合いのなかで、今は大きく、暴力がリードし、サバイバル戦がはじまろうとしている。圧倒的な、暴力を前にして、シリアと北朝鮮、あるいはパキスタンでもいいが、ヘビににらまれた蛙のあなたはどうするか、ほんとのところを、あなたに聞きたい。
追記
イジメの構図
相手を追い詰め、追い詰め、生存権を奪い、人命を壊し、人の心を狂わせながら、なおも、成人君子のように、ふるまうことを要求する・・・あいてのキバを無理矢理ほじくり、ちょこっと出してきたところで、その致命的なキバを折る。
かつて、わたしは、朝日新聞に、イラクの核査察にふれ、「鳴かぬなら 鳴かせて殺そう ほととぎす」という川柳を投稿しました。数日後、「鳴いたとて 殺してしまえ ほととぎす」という、どなたかの川柳がのりました。