アメリカの、今まで見過ごされてきた闇の部分、多くの人が見ない、あるいは見られない、ネガティブな部分をこそ、今問うことが大事だとおもっています。
もちろん、私は、外資・アメリカ系の仕事に所属しており、選択した理由は、日本にない合理的な側面、経営の堅実さ等、納得できるものがあったからこそ、それまでの10年にわたる日本社から切り換えたのです。今でも、正解だったとおもっています。
さて、日本という、まさに、村落共同体から一歩も出ない日本型思考でない、様々な人種の坩堝といわれるアメリカは、歴史もたかだか、200年ですが、あえて、表面だけ見れば、開拓につぐ開拓、進出につぐ進出、あらゆる移民を受け入れてきた国、太っ腹の国でしょう。
いろいろな国とかかわりをもち、あらゆる国の資源、富を誘導できる「力」、したがって、あらゆる人々を惹きつけ、その活力を十二分に自国の国益に還元させてきた国です。
こうしたことは、いまさら、私がいわなくても、多くの方々が語っていますので、今まで、言及しなかったのです。
そして、今、こうした「素晴らしい大国」が主導する、破壊的な暴力シーンが繰り広げられているとき、このあまりの落差を根源から問うことが必要と考えるのです。
昔から密やかにいわれてきた、軍産複合システムに依存したアメリカ経済、人殺し産業が国の基幹であることの病巣を、見ずして、何が自由でしょうか。何が、民主主義でしょうか。この矛盾が今私たちの眼前に、つきつけられているのです。アメリカと「一心同体」の日本も、当然この矛盾を突きつけられています。
軍需産業の利潤が回りまわって、どれほど、華麗な世界を演出しようが、能力の開花、文明が謳歌されようが、一方で、とほうもない犠牲を生み、未来まで破壊する暗殺国家のアメリカでは、希望はないのではないでしようか。
私は、アメリカの民主主義や個人主義は、もしかしたら、アメリカ支配者からの、飴玉のようなものではないか・・とおもいます。ある一定の集団、階層にばらまかれたものと考えられないでしょうか。つまり、常に、支配層の貯蔵庫にストックされている飴玉では・・・
その証拠に、今現在、アメリカは、非自由、非民主主義、プロパガンダ、暴力の支配が中心です。
いえ、なにも、アメリカだけの話ではなく、私たち日本人もまた、所詮、所属する国の国策、国益内で手足を縛られている、奴隷の民ともいえます。日本という檻の中、そして、地球という器の中の住人にすぎません。支配層の司る国益を何の疑いもなく、ありがたがる、おめでたい人々もいることに、驚きますが。
最後に、「敵はアメリカではなく、現アメリカの指導層です」といわれたこと、確かに、一理あるのですが、以前、「鉄ちゃん」氏にもそのような意味の指摘をうけたことがあります。私は、確かに、その辺をスパッと分けて考えておりません。私の知識に限界もありますし、なにより、私のものの考え方が、自らがみたり、体験した事例をもとにして、そこから、じょじょに、光をあてていくというやりかただからです。
私からすれば、「人間学」からすれば、今行われている暴挙は許しがたいことであり、「命に勝る正義」はないわけです。朴慶南無さんの「命のものさし」に共感するものです。
アメリカのやっていることは、現実であるその一点に眼を凝らしていけば、対象とされているフセインやら、金正日の人間像の一端もまたわかってくるというものです。
最後に、引用するのは、殺される側の人の言葉です。
「・・アメリカ政府はアメリカそのものを破壊に導いている。それゆえ私たちは、すべてのアメリカ人、とりわけアメリカ兵の母親、そしてすべての母親たちにいいたい。こどもたちの命を大切に思うのであれば、ユダヤ人の利益を大切にする政府ではなく、こどもたちを大切にしてくれる、愛国心のある政府をえらぶべきだ」
そして、非民主的なアメリカには、私の尊敬するノーム・チョムスキーがいる国でもあることも事実です。また、アメリカの反戦運動は、その根っこに反差別をしっかりと謳っています。飴玉などなめなくても、今の腐った支配層を覆す真に民主的な人たちの力が燎原の火のごとく、ひろがることでしょう。そうした人たちと、私たちは、連帯していきたいものです。
こうして、さざ波でいろいろな意見交換することもまた、共産党にブッシュが出現するのを阻むことにつながるのではないかとおもっています。