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「この国の閉塞」ということ

2003/5/24 にわとり頭、40代、自由業

 宮崎学氏のホームページの論を紹介しよう。氏は名指しはしてはいないが「100年近くも目的を達しない組織」とは共産党であることは誰もが知るところであろう。
http://www.zorro-me.com/2003-5/tksm030520.html

 私も氏の意見に同感するものである。政党の存在目的は「政策の実現」である。もっと言えば国会で過半数を制することである。そのために必死の努力をしてこそ政党であろう。私がたびたび取り上げているスローガン「軍事費を削って福祉に」も実現すればそれは素晴らしい「政策」であろう。 有事法制にしても個人情報保護法案にしても国会の過半数を制すればこそである。行き着く先は「憲法改正」であろう。現政権が国会で過半数を制している以上やる気になればやれるのである。
 私は現憲法が厳正に執行されていないことはいないこと自体には大いに問題ありと考えるが憲法の「民主的改正」はひとつの選択肢であると思う。 「厳正執行」を一枚看板にして頑固に主張し続けることも確かに政党のあり方であろう。しかしその間に国会で「過半数」(憲法改正の場合は三分の二)を制されればまさに「もとも子もない」のである。
 共産党があくまで「議会主義」に徹することを認ずるのであれば、もっと「議席」を取ることに執着せねばならないだろう。そこには決して「理想」だけで割り切れない現実の「どろどろ」があるはずである。その「どろどろ」に分け入ってこそ現実の国民の生活や「実感」があるのであろう。議席とはその実感の「選択」なのである。
 共産党は批判者に対して「政党はおしゃべりサロン」ではないという反論を常套句にしていたように思う。しかし百年近く「実現」しない政策を掲げることは自らが「おしゃべりサロン」であることを実証しているのではないか!
 もちろん「主張」を二転三転する人間、組織は世間では信頼されない存在であろう。しかし実現しない「政策」を掲げつづけることも またある時間の流れの流れの中では同罪なのである。
 多くの国民が国会内での多数派の「取引的立法」行為に不満を感じているはずである。しかしそれに対抗できる多数派を組織できないことも実は「取引的立法行為」と同じくらいに重い罪なのである。
 こういう政治的状況こそが「この国の閉塞」なのである。
 共産党はかつて「戦争を阻止」出来なかったことを最大の恥辱としたはずである。私は近い将来このこの誤りに近い誤りを繰り返すのではないかと危惧している。
 どんなに「美しい」政治スローガンも実現しなければただの「看板」である。繰り返し言うが「全ての人はエベレストに登らない」のである。閉塞状況を打ち破るために何が出来るのか?これは共産党だけでなく全ての政党が自らに問わなければならないことだろう。
 共産党が自ら閉塞状況打破のために何が出来るのか考え実行することが出来なければやがて自爆的現象で閉塞状況の打破に資することになるのが人の世の常であろうと私は思う。