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共産党は何故だめか?

2003/5/4 にわとり頭、40代、自由業

 様々な方が共産党の問題点について述べておられるが私なりに何故だめなのかをまとめてみたいと思う。
1.自分達は世界を解放する特別な存在だと思っている。つまりは一種の選民思想に立脚した集団であるということ。だから一般国民は救われるべき哀れな存在でありいつか自分達の正しさに気づくと思っている。
2.科学的社会主義で全てが解明できるという信仰ともいえる思考方法しか持ち合わせていない。しかもその科学的社会主義による判断は一部の幹部にゆだねられており一般党員はただただその判断を鵜呑みにするしかない。よってあの「まねっこ口調」があうまれるのである。
3.全ての議論はあらかじめ完了しており、ダイナミックに動きつづける現実に対して対応する能力がない。その典型的な例が憲法や防衛力に関する議論でありただひたすら「憲法をまもれ!」と主張しているがこれでは逆に憲法に対する「思考力」を失い、やがて改憲を許すことになるであろう。(改憲勢力には彼らのような「ただひたすら憲法を守れ勢力」は逆に都合がいいのである)また彼らが常套句とする「軍事力を削って福祉に」なども現実の前には何の説得力もないスローガンであろう。
4.典型的な「上意下達組織」であること。民主集中制は最高の組織原理などと言っているがもちろん「民主集中制」も問題であるがそれ以前に一般的な「民主的討論」や「議論」の能力の欠如の方が問題であろう。自由な発想が許されない組織では発展はありえない。
5.以上の結果、自己認識能力を失い内に向かって自閉した組織になり内部において異論を唱えるものに対しては極めて不寛容になるのである。外部に向かっては金太郎飴のような「無個性」集団にしか見えなくなるのである。(もちろん彼らにそのような意識はないしそれどころかこれこそが政党として最高のあり方であると自負しているのである)
 以上が私が考える「共産党がだめな理由」である。一言で言えば「死んだ組織、死んだ思想」である。また現実に対して最も敏感に対応しなければならない政治組織というよりは「科学的社会主義」というお題目を唱える「宗教組織」と言うべきであろう。
 かつて当たり前のことであるが「社会主義世界体制」が存在した頃には共産党の戦略・戦術にはそれなりの輝きがあった。だからこそ多くの若者達が惹きつけられその戦列に加わったのである。しかしソ連・東欧の崩壊による「社会主義世界体制」の終焉で世界は根底から変わったのである。共産党にとって見ればその思想、組織原理、行動様式とその全てが「桎梏」へと変わったのである。新たな時代に新たな発展をするためには時代に適合しないシステムは捨て去らなければならないのである。しかし今なお「東西冷戦構造」の終焉を認めない組織においてはそれは不可能を意味するのである。
 自己解決能力がないのならば外部の人間がそのことを懇切丁寧にそして愛情を持って教えてやるしかないだろう。もはやそういう事態にまで立ち至っていると私は思うのである。