拉致問題というのは、本当に難しい問題だとは思うのですが。
竜一さんの意見は一般的日本人の意見じゃないのか、と思えるんですが、私の意見とは少し違います。
ともかくも、少し自分の考えていることを書いてみることにします。
まず最初に、北朝鮮の拉致は人道的に許されない、最悪の犯罪です。
しかしながら、今の日本での、拉致問題に対する風潮と言うか、流れはおかしなものになっていると、私には思えます。
一言で言うなら、日本の武装化に拍車がかかっているように、私には思えます。
「拉致被害者を助け出す」という問題が、「北朝鮮に制裁を」「北朝鮮は危険な国」という流れになって、日本の軍事的影響力を強める傾向になっていないでしょうか。
それは、「救う会」に参加している政治家の矛盾を考えてみると、分かりやすいと思うのですが。
「救う会」に参加している政治家たちは、拉致被害者を助け出すという、「人道」を前面に押し出して、活動しています。
しかし、彼らが本当に人道的な政治家だと言うのなら、本分の内政において、人道に基づいた政治を行ってなければならないはずでしょう。
そこに深刻なギャップがあるのが、拉致問題を気をつけなければならない、第一の理由だと思います。
もし彼らが企業の公害を憎み、過労死を憎み、リストラやそれに伴う自殺を憎み、医療保険の負担増を憎み、もろもろの理不尽を憎んでいるのなら、拉致問題に裏面は無いと思います。
ところが彼らはこれらのことを憎むどころか、むしろ推し進めている張本人としか私には思えません。
その彼らがなぜ拉致問題になると、とたんに「人道派」に豹変してしまうのか?
その矛盾というものは、真剣に考えなくてはいけないと思います。
それと矛盾と言えば、「救う会」に「新しい歴史教科書を作る会」などの右翼的団体が関与していることも、気をつけなければいけない点でしょう。
「作る会」の趣旨は、太平洋戦争を「自衛のための戦争だった」と正当化するものですから、この矛盾は極めて大きいと私は感じます。
北朝鮮が金正日を「敬愛する将軍様」と神格化するのと、戦中の日本が天皇を「現人神」と神格化したのは、全く同じ精神の産物でしょう。
両方とも、権力や上位者に対して絶対の服従心を植え付けるための、神格化でしょう。
そうした「人を使い捨ての道具にするシステム」を批判せず、むしろ天皇の神話をより多く教科書に載せようとか言ってるのですから、やはり大きな矛盾を感じてしまいます。
北朝鮮のおかしさは、戦中の日本に通用するおかしさなのに、その戦争を美化する一団が、北朝鮮を責める側にいる…
なんともグロテスクな構図だと思うのですが。
正直言って、拉致問題は本当に解決が難しい問題だと思います。
「北朝鮮に制裁を」という力で押す声が強まってますが、私はそのやり方でも難しい、と思っています。
何故かと言えば、既に相当数の拉致被害者を殺してしまっている可能性があるからです。
脱北者の話によると、帰国事業で北朝鮮へと渡った日本人すら、度重なる粛清によって、相当殺されてしまったと聞きます。
もともと拉致そのものが、生かして帰すことを前提にしてない問題なので、残念ながら、拉致被害者が全員生き残されている可能性は、極めて低いと思われます。
この状況で、もし生き残りの全員を帰し、残りを殺してしまったことを公表してしまうことは、金正日にとっては破滅を意味します。
逆に力で現政権を潰し、拉致被害者を救い出そうとしても、証拠隠滅の為に被害者が殺される可能性があります。
自らを神格化していた男が破滅するとき、残される汚名を甘受できるかどうか…私は非常に怪しいと思っています。
本当に、拉致問題は解決が難しい問題だと思います。
もし出来るだけ被害者を生かしたまま、問題を解決しようとするのであれば、尋常でない離れ業が必要になるんじゃないでしょうか。
例えば南北統一などの、歴史的出来事と重ね合わせてしまうような。
だからと言って、日本として何もしない訳にはいかないのですが。
とりあえず今日本がやるべきことは、日本一国の圧力を強めるより、国連で世界的問題として取り組むような、広い包囲網を作ることだと思います。
ただそれでも、被害者が帰ってくることに繋がるのかどうか、難しいところなのですが。
それと最後に、たしか日本は戦後補償はほとんどしてきてないと思うのですが。
竜一さんの言う「莫大なお金を払い」というのは、もしかしてODAのことなんじゃないでしょうか?
あれは発展途上国に対する援助金ですし、その中身も海外出張版公共事業の色合いが強く、人道的援助とはちょっと違うもののように思えます。