言うまでもなく、有事法制とは我が国をアメリカの腰巾着に貶め、憲法上でも問題があると考えられる集団的自衛権を発動するにとどまらず、先日のイラク戦争のような全く理不尽な侵略行為をも正当化せんとするとんでもない法制である。
その上、有事の際には人民の権利が抑圧されるという不当性をも持っている。
だが、こうした重要な法律が国会では十分に審議されるでもなくスピード可決され、そしてそれを日本国民は諸手を挙げて賛成している。それがどんな法律であるかも理解せずに、基本的人権が抑圧されることの意味、恐ろしさを理解せずに。
そもそも日本人というのは現在享受している基本的人権というものを自力で勝ち取ったというわけではない。
アメリカ、フランスなどをはじめとする欧米の国々、かつて欧米(あるいは日本)の植民地であったアジヤの人民はそれを獲得せんと戦った歴史を持つ。
だが、我が日本はただ軍部が勝手に暴走して戦争をはじめ、彼らのプロパガンダに乗せられ国民はそれを支持し、勝手に自爆し、アメリカが進駐する体制のもとで現在の憲法を与えてもらっただけである。
「昭和憲法はアメリカによる押し付けではない」との反論がありそうだが、待ってもらいたい。確かに、GHQの憲法案に日本人の手も多少は加えられ、現在のその形になったのかもしれない。
しかし、そもそもそういった憲法改正のきっかけとなったのは、言うまでもなく敗戦であって、自分で勝ち取ったわけではない。
そのため、日本人というのは人権意識が希薄なのではないのか。
自分らのの人権が制限されようものなら、まともな文明人であるのなら反感を覚えそうなものである。
しかし、愚かな日本人はそれを諸手を挙げて賛成だ。
きっと、彼らは実際に自分の権利が抑圧されない限り反感さえも持たないのではないだろうか。
実際に戦争が起こって、自分の財産権、思想信条の自由が奪われてみない限り、気づかない。
こうなったら、いっそのこと戦前と同様に財産権、思想信条の自由、信教の自由、など全てを無くし、また民主主義も廃止して万世一系の天皇にこの国を統治して頂きたい。
そういう意味で私は有事法制を支持する。