きっと沢山の投稿があるでしょうが、重大な不祥事なので、私も一筆書かせてもらいます。
まず一つ目に、共産党の対応について。
私は、筆坂氏の処分については妥当だと思います。
しかし一方で、説明責任が充分に果たされているようには、私には思えません。
「詳しい事は被害者女性のプライバシーに関るので話せない」というようなことを、記者会見で話していましたが、それは欺瞞ではないでしょうか。
記者会見で出された質問を文章化し、あとで被害者女性に「答えて良いかどうか」の是非を問うた上で、筆坂氏自身が答えるべきでは無かったでしょうか。
回答が文章になっても良いから、やはり筆坂氏自身が、説明責任を果たすべきだと思います。
それともう一つ、25日付けの赤旗で、一面にこの問題を載せているのは良いのですが、見出しに問題があると思います。
「セクハラ」あるいは「セクシャルハラスメント」という単語を見出しに入れなかったのは、誠実な対応とは思えないのですが。
もしこれが他党の議員だったら、まず間違い無く「セクハラ」の文字が入ったでしょう。
他党の議員の場合、顔写真も入ったかもしれません。
それなのに身内の不祥事の場合、おとなしい形にしてしまうというのは、対応が逆ではありませんか。
他者の罪を厳しく問うのなら、自らの罪については、よりいっそう厳しく望むべきでしょう。
事件そのものにも失望しましたが、身内をかばうような事後処理にも、私は失望を感じてしまいました。
事件そのものを隠蔽しなかったのは良いとして、やはり「筋を通す」ということに不足があってはいけません。
それと私が気になっているのは、「飲酒のはらむ危険性」という問題意識が、議員や党員の間に充分あるのだろうか、ということです。
まず人間の、脳のしくみについて説明したいと思います。
脳は全部が同じ作りになっているのではなく、「運動を司る分野」「言語を司る分野」「記憶を司る分野」…と言った具合に、それぞれが受け持つ機能ごとに、分けられた作りになっています。
お酒を飲むと、血液に混じったアルコールが脳にまわり、アルコール量が多いと脳の機能をマヒさせてしまいます。
「運動を司る分野」がマヒすれば千鳥足になり、「言語を司る分野」がマヒすればろれつが回らなくなり、「記憶を司る分野」がマヒすれば飲んだ記憶が飛ぶ…という具合です。
そして脳には「本能を司る分野」「理性を司る分野」があり、これが飲酒の問題行動につながっていると考えられます。
多量のアルコールによって「理性を司る分野」がマヒしてしまうと、本能や衝動をコントロールすることが出来なくなってしまうのです。
例えば誰かと口論したとき、アルコールで理性がマヒしていれば、暴力をふるってしまうかもしれません。
お金を拾ったとき、ネコババしてしまうかもしれません。
そして目の前の異性に性欲を感じた時、理性がマヒしていれば…
おそらく筆坂氏のセクハラは、こうして起こったものと思われます。
だからと言って、私は筆坂氏のセクハラを「酒の上のこと」と庇うつもりはありません。
問題は、飲酒のはらむ危険性が、スキャンダルが命取りになる人たちに、浸透してないことです。
アルコールで、なぜ本能より先に理性がマヒしてしまうかといえば、「本能を司る分野」は生存本能を維持しているためだと思われます。
食欲や性欲、攻撃欲といった生存本能は、生命体にとっては理性より優先順位が上なのでしょう。
本能むきだしで理性が乏しい、という状態は「暴君」と言っても過言ではないのでは。
お酒を飲むということは、「暴君になる危険性」をはらんでいるのだと、特に責任のある立場の人たちは、意識することが重要だと思います。
私は下戸ですので、「お酒を飲む幸せ」というものは実感できるほど理解していません。
ですから酒好きの人たちから、「お酒を飲む幸せ」を奪うことになるのは心苦しいし、望んでもいません。
しかし飲むにしても、この危険性を意識した上で飲んで欲しいのです。
「お酒を飲むのは危険だ」という意識があれば、アルコールの量を減らしたり、なるべく自宅で飲むようにしたり、トラブル回避の可能性が広がるはずです。
私は、党としても、このアルコールのはらむ危険性を、衆知徹底させる運動を広めるべきだと思うのですが。
もしこの不祥事を、筆坂氏ひとりの問題として処理するのであれば、いずれ同様の不祥事を招くのではないでしょうか。
「この不祥事は痛い」と思うのであれば、アルコールの問題を避けて通るべきでないと思います。