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同志という言葉

2003/6/28 大歩危、50代、公務員

 「同志」という言葉の使用は止めた方が良いのではないかというのが私の提言です。
 筆坂氏の女性問題に関して、市田氏が「筆坂同志の行為は...云々」と語っていましたが、私にはこの「同志」と言う言葉が、大変気になりました。
 建前上、共産主義社会においては階級がないので、北朝鮮のアナウンサーが金正日同志という風に呼称しているようですが、多くの方が違和感を感じているはずです。
 これは、単に言葉だけの問題でなく、この「同志」という観念が全体主義を造形しているように思えますし、「同志」になれないものを迫害している気がします。
 「同志」とは文字通り志を同じくする者の意でしょうが、日本人なら、「国旗、国歌を敬うとともに、愛国心をもち、日本の歴史に誇りを持たなければならない。」と同じ理屈で、同志であれば「こう有るべきだ。」とか「ああいうことはしてはいけない。」とかいろいろ制約し、最終的に言論や表現の自由が阻害される恐れがあるし、現実に共産主義国家では言論、表現及び結社の自由が制限されています。
 私は「共産主義同志」という言葉は、「愚衆」を導く一種の共産主義エリート集団をイメージしますが、一般に「同志」というとせいぜい赤穂浪士の集団位で、日本人一億人以上がとても「同志」には成り得ないと思います。
 また、いくら共産主義を支持する御家庭でも、子供から「お父さん、お母さん」でなくて、「同志」と呼ばれることには抵抗があるのではないのでしょうか。