朝日新聞6月28日朝刊3面の記事
--北朝鮮の白南淳外相は26日、国連安全保障理事会のラブロフ議長(ロシア国連大使)に書簡を送り、米国が安保理で同国を非難する議長声明の採択に向けて働きかけていることを強く非難し、安保理に対し5項目の要求を示した。
書簡は「安保理の一常任理事国」との表現で米国を示し、安保理がブッシュ政権の掲げる「悪の枢軸」や「先制攻撃」をどのように判断するか示すよう要求。そのうえで朝鮮半島をめぐる危機は米国の脅威によってもたらされており、北朝鮮は米と2国間協議による解決を望んでいるとのべている。
さらに、安保理は二重基準を排するために核不拡散条約(NPT)の非加盟国すべてに加盟をもとめるべきだと主張。くわえて、米国が他の国を「窒息」させることができるかどうか、安保理が国連憲章に基づいて判断することをもとめている。
書簡はまた、朝鮮戦争の休戦協定に留意するよう求めている。
こうした北朝鮮の主張は、小さな小さな扱いですが、みなさんは、この記事をよまれたでしょうか?上記に、そのまま引用させていただいたのは、当然、北朝鮮非難、バッシングのあふれんばかりの活字のなかで、当の北朝鮮はどういってるのか、がほとんど、隠蔽され、私達にきこえてきていないからです。
ここさざ波でも、かなり、北朝鮮バッシング派のかたがたがいるとおもわれますし、その方たちの主張は、日米の一方的なものがほとんどだとおもいますが、それを、プロパガンダですよ、といくらいっても、おもいこんだかたの思考は、即、かわりません。
それぞれのかたに反論、質問というかたちで、返事をかきたいとおもっているのですが、まずは、今日の新聞記事を、是非、みなさんに、よんで頂きたいとおもい、紹介させていただきました。
いくら、北朝鮮が狂気のテロ国家であろうが、その「狂人」の「叫び」や「「妄想」をきかなければ、治療も対処もできないではないでしょうか。
そして、私の「独断的」意見は、上記の北朝鮮の主張は、至極まっとうな、きわめて、道理のともなったものとうけとれます。
過去の金政権、または、現在進行形の「人権抑圧状況」ももちろん無視できないですが、そうした、国が今、どういう状況下で、何を本音としていってるのか、ということが最優先に土台にしなければならないことでは、ないでしょうか。
信じてもらえないことを、承知でいいますが、日本人の、99・99%は、日朝の歴史を歪曲して、日米に都合のいい事実の切り張りで解釈したものを鵜呑みにして理解しています。いままで、巷にでまわったあらゆる情報を検証するまでもなく、「勝てば官軍」の土台が何をもたらすか、冷徹にみれば、理解できるとおもいます。
現在のイラク戦争も、ごまかしようの無い事実が次々と、でてきています。それでも、小泉やブッシュは妄言を繰り返し、日本国民の命で、金儲けをたくらんでいるのです。
そうした妄言に乗る必要の無い人々までが、つまり9割の戦争賛成派が、プロパガンダに乗せられて、戦争は着々と遂行していっているのです。
わたしは、一昨年の不審船事件のときが、第三次世界大戦の勃発のときだとおもっているのです。排他的経済水域とやらの極寒の海上で、相手を挑発し、最初から船体射撃、逃げる船を追っかけ、米の指令通り、15人?を射殺。つまり、日本は、戦時下です。「金曜日」にも、この時点で投稿しています。イラク戦争がブッシュの言説どおりに、3月20日始まり、今や終結した、と小泉派は、断言しますが、私は、イラク戦争は渦中だとおもっていますし、事実、真実いずれから検証しても、今から、が戦争拡大にむけて、米国は画策しています。日本は、その米国と手を結んで、日本の1割の反戦派をだまらせることに、必至になっているのです。戦争というのは、いつでも、民衆の目をそらしておいて、不安を煽り、人々の意識を好戦的に仕向けていきます。賭博やら犯罪やらを登場させる仕掛けが、きっちりとねられていくのです。
もし、みなさんが、この私の主張に異をとなえられるなら、そのときどきの新聞記事を検証されればいいとおもいます。データにもとづいて、反論してください。いいかたは、感情がこもっていてもいいのです。討論であれ、熱意がこもり、怒りが表現されるのは、自然なことです。
むしろ、数人の方のように、言葉遊びの感覚で、ためにする議論をされていたり、自分の偏狂な理論を押し通すためだけに、真摯な反論をヒステリック呼ばわりして攻撃しています。こうした誹謗、中傷は、やめていただきたいとおもいます。自らの品位をおとすのではないでしょうか。
感情的なら、どこが、どの部分が感情的であるのか、独断的でかたよっているのか、そこを討論しましょう。
また、人の言論は、つづいているものです。何回もいっていることですが、一つの言説のみをきりとって、批判するのは、まちがっています。文は人なりといいます。言説は人格です。
最後に、いろいろと、こうして、討論している間に、世界は動き、日本は、それに、よくもわるくも、くみこまれていっているということです。
中身のない井戸端会議の類ならば、当然、排除されてしかるべきでしょう。