6月23日投稿のあなたの投稿を読んでみて、正直ひどいと思いました。
あまりにも侵略する側の立場を擁護しているように、私には感じられました。
「正々堂々戦うべきだと言う事です」とのことですが、そもそも武力侵攻こそが、全体の問題の上で、正々堂々でないことでしょう。
もしその戦争が、決闘のように双方合意の上の戦争だったら、正々堂々と言えるのかもしれませんが、そんな戦争はまず存在しないです。
相手は「攻められたくない」と思っているのに攻めて、「歯向かえば殺す」ということのどこが、正々堂々なんでしょうか。
枝の部分で公正さを求めて、幹の部分で公正さを求めない貴方の考え方には、私は到底賛成できません。
ベトナム戦争のアメリカ介入を、「共産主義の拡大を防ぐ目的からです。侵略するためでは無いはずです」と正当化していましたが、軍事力で攻めて自国の支配下におくことが、なぜ侵略でないのでしょう。
それと、ソ連の支配拡大を防ぐには、戦争以外の方法が必ずあったと私は考えています。
そのひとつは、「ソ連よ、あんたは本当に共産主義国家なのか?」という理論闘争をおこなうことです。
辞書に載っている共産主義の内容と、ソ連の実体が全く違うのはなぜですか?(資本主義は辞書そのままの姿なのに)
そのあからさまな食い違いを、当時のアメリカ政府は全く知らなかったのでしょうか。
私は、NOだと思います。
もともとの共産主義の持っている脅威…「支配層は要らない、平等社会を目指す」という点を葬り去るために、あえてソ連の嘘を言及しなかったのではないですか?
自国の支配体制を維持するために、ソ連を「インチキ共産主義」と批判せず、「ソ連は独裁国家だから、共産主義は悪の体制だ」と戦争の理由付けにしたのではないですか?
私はテレビで「共産圏」「共産化」などの言葉が出てくるたび、「それは本当の共産圏、共産化なのか?」と疑問に思います。
「軍服を着ていない人間が、戦闘に参加するのは、ル-ル違反だろ」との意見も、ひどいと感じました。
全く、抵抗権の剥奪という風にしか私には思えません。
くりかえしになりますが、もし戦争が決闘のように対等な立場の闘争なら、そうかもしれません。
でも自分の住んでいる村がいきなり侵攻されて、それで「正々堂々戦え」なんて理屈がありますか。
実際、ベトナムでアメリカ軍は「紳士的な侵略」を行ったのでなく、多くの強姦や虐殺などもしたのではないですか?
あなたは自分の妻や娘が強姦され、それを制止しようとした兄弟や母親が眼前で殺された時にも、正々堂々と抵抗しようと思うのでしょうか。
また米軍は、密林地帯に枯葉剤をまきましたが、これは相手が軍服を着ているかどうかに関らない行為でしょう。
国土を破壊し、民間人も問わず殺し、戦後も毒性を残すことを知ってて行うことは、正々堂々とはとても言えない行為でしょう。
自分の国土に猛毒をまかれ、生活を破壊しつくされても、それでも正々堂々と抵抗しなくてはいけませんか。
民兵の存在は正義ではないかもしれませんが、少なくとも抵抗戦でそれを禁じてしまったら、抵抗そのものが成り立つのでしょうか。
「戦場で敵なのか民間人なのか判別していたら、敵が戦闘員の場合は、撃たれてしまいます」とのことですが、侵略した場合、自衛権の正当化は成り立たないでしょう。
自衛のため、身を守るためというなら、相手の国から撤退すれば100%自分の身を守れるのですから。
米軍は民間人を殺さずに済むし、相手だってゲリラ戦をしなくて済みます。
そもそも全体を包む大枠で、「相手を武力で攻める」ということが完全に間違っているのではないですか。
イスラエル・パレスチナ問題は、ベトナム戦争とは相違点が多いので、同列には論じられませんが。
テロはいけない、テロは正義ではない、それは間違い無いと思います。
しかしテロは政治的要素だけでなく、復讐の要素を含んでいる場合が多いと思うので、厳しく取り締まるだけでは「テロ撲滅」は果たせないでしょう。
テロによって、殺される人間に押しつけられるのは、「理不尽な死」です。
しかしテロによらずとも、「理不尽な死」が人々に強要される場合があります。
テロ以外の「理不尽な死」と、テロによる「理不尽な死」で、輪廻される状況があると思います。
「テロ撲滅」を果たすには、テロのみを取り締まるのでなく、もっと大枠で「理不尽な死」を取り締まらなくては駄目です。