共産党議長不破氏は、朝日新聞6月28日付朝刊掲載のインタビューで、「筆坂」問題は「個人の道義的な事件」で「政治的な不祥事」とは「性質が違う」とし、「政党としての説明責任は果たし た」のべている。
「しんぶん赤旗」25日付にのった、同党常任幹部会の「セクハラ問題とわが党のとった措置について――党員、後援会員、支持者のみなさんに、ご理解をおねがいします」でも、「常任幹部会の一員がおかしたものであり、常任幹部会として、その責任をまぬがれるものではなりません」と認めながらも、結局は、この問題を筆坂個人の「道義的事件」(前記不破インタビュー)の枠内におしとどめている。そのうえで、常任幹部会文書は、「被害者のプライバシーを守ること」は「鉄則中の鉄則」という口実に名を借りて、事態の輪郭すら明確にしないことを合理化している。
だが、はたして、これは「個人の道義的な事件」ですまされる問題だろうか。
筆坂氏は、常任幹部会員・政策委員長であり、市田書記局長の病気入院中は書記局長代理を務めた人物である。党内の序列がどうなっているかはつまびらかにしないが、少なくともナンバー4か5にはいっていた最高幹部である。その最高幹部がセクハラ問題を起こしたということは、女性の人権やジェンダーなどの問題に関し、この党の最高幹部の一人の思想的資質の低さを暴露したという意味で、きわめて高度な「政治的事件」である。
この場合、被害者のプライバシーを守ることが大切なことは、別に共産党から「鉄則中の鉄則」などとご教示ねがわずとも、世間の常識である。被害者のプライバシーを守りながら、なおかつ党員・支持者の納得が得られるよう、必死の努力をして情報公開に努めるのが、公党として「説明責任」を果たすことである。
筆坂氏のような人物を最高幹部にしたことについての(不破氏らの)候補者任命責任も明確ではない。
常任幹部会文書は、例によって、「共産党ならではの筋の通った対処だ」という、「大政翼賛会」的声をとりあげ自己正当化しているが、ほんとうに共産党首脳はそう考えているのだろうか。恥ずかしくないのだろうか。
それならそれでよい。「ベルリンの壁」ならぬ「代々木の壁」の崩壊の始まりである。