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一般投稿欄

永田町発男根ウィルスにレイプされた橋本聖子

2003/6/30 長壁 満子、40代、金融

 公開の討論会場でーー
 「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に 近いんじゃないか」とほざいた自民党国会議員・太田誠一(軽蔑に値する人という意味で、敬称略します)。
 こうしたセクハラまがいの暴言を聞くたび、時に抗議声明がだされ、お詫びが繰り返されてきたが、今回は、早大集団レイプ事件も生なましいばかりか、その事件そのものを揶揄するといった、人格を疑う破廉恥発言である。
 先に、筆坂氏セクハラ事件で(党員用討論)、現国会議員の9割が辞職の資格云々と書いたが、このとき、あえて、男性国会議員とかかなかったのには、理由があってのことだった。図らずも、私のこの懸念を追認させてくれたのがこの度の暴言。
 今回のパネラーの顔ぶれをみていただきたい。太田本人の右には、例の売春疑惑(これが個人情報保護法案の発動のきっかけにもなった)と神の国発言の森。そして、左には、スポーツタレント議員・橋本聖子。
 テレビをみながら、怒りと吐き気をもよおしていた私の目に映ったのは、なんと、白い歯をむきだして、大きな口をあけ、いつまでも笑っているその顔である。
 田原氏に「あんたの隣の人は無茶苦茶いってますよ。」とうながされても、「ええ!? 何ともこたえようが・・」ガハハと、相も変わらず、白い歯。
 何という光景か。他の男議員もうれしそうだったが。
 議員になったり、金がはいるようになったり、テレビにでるようになったりすると、人間はかわるのだろうか。人格というのは、その程度のものか。筆坂氏の件も、よくわからないまま、感想をのべてきたが、もしや、私のあずかり知らぬ思考が、永田町界隈では生きているのかと思ったりする。
 川上慎一さんが、冷徹な検証をされているが、長い間の党との関わりから見える鋭い分析とおもわれる。
 人間の根源・尊厳に関わることである。性に対しての考え方、とらえかたは、その本人の核をなす。核を左右するのが、地位だったり、環境・組織だったりしたとするなら、易々と性的奴隷になりさがる状況は、もはや、非人間生の世界ではないだろうか。
 多くは、そのほとんどが、自民党であり、池田大作であり、各界の長老族であり、男である。
 戦争にレイプ犯罪はつきものであり、従軍慰安婦裁判でもわかるが、女性は、尊厳と命とをころされる。女性の尊厳を冒した男は、たいてい、けろっとしているのがおおい。
 過去、私は、従軍慰安婦問題で話したとき、70代の戦争体験者は、「あれはな、喜んでしてるんだ}とほざいたし、恥ずかしながら、私の身内も、同じような言葉を口にした。
 なかでも、おどろいたのが、お客さんのところにきていた60代の女性が、「お金のためということもあったのよ」とにやりと哂ってこたえたのだった。また、「従軍慰安婦なんて言葉はなかったのよ」と、勝ち誇ったように、いったのである。
 「とうぜんでしょう。当時を検証するために、使っている言葉なのだから。看護婦だて、性奴隷だって、なんだっていいんですよ。そんなことは。」と、返したものの、むなしくなって、以降、彼女等とは、絶交したという苦い記憶がある。
 にしても、わたしたちは、男として、女として、性的存在として、今を生きる存在である。どうして、性的な事件が、自分とすっぱりと切り離されて、かたられるのだろうか。
 それとも、つながっているのだろうか。としたなら、太田しも、橋本氏も、私の身内も、また、客も、性を自らを、そのようにとらえている人格の持ち主ということになる。配偶者、娘、息子にたいしても、また、恋人に対しても。
 こう考えると、非常にわかりやすい。現在の戦争も、レイプと同じ構造である。相手の尊厳と命をおかす。恐怖と殺戮兵器で、支配する構造。支配と服従。本来、服従の側に組み込まれた人間が、つまり、被抑圧者・女性が、支配者側の論理にやすやすと、組み込まれる。橋本氏は、男根ウイルスに冒されているのである。ガハハ・・と笑うその頭には、男の痴性がぎっしりと詰まっているのであろう。
 太田氏の暴言に戻るが、「それだけ強く異性を求めるきもちがあるなら、ちゃんと、結婚を」というのがあるが、この人は、女性を、性欲(劣情)=異性=結婚=子づくり=兵隊ととらえているのでは、と勘ぐると、わかりやすい。
 現代の戦争も、見かけも中身も、男中の男がとりしきっている。ブッシュもコイズミもブレアも、その類であろう。フェミニズムとは、真っ向から対立する。
 テレビ界にも、通じることであるが、いずれの世界でも、真に尊厳を感じさせる、人間性を伴ったキャラクターが少なくなったようにおもう。そうした人格は、当然、その程度の語りの域をでない。スポンサーの意向がどうであれ、一片の人間性があれば、ここまで、世論に隷属しないだろうことをかんがえてみても、やはり、現代の状況は、堕ちるとこまで堕ちてしまっているのではなかろうか。
 最後に太田氏は、形のうえだけ、謝る必要などさらさらない。自覚のない謝罪などいらない。真にこころするべきは、こうした痴性を選ぶ有権者の民度である。
 この度の一連の事件は、日本人の民度を具現化したものである。