6月14日付の「しんぶん白旗」さんの「右翼って何?左翼って何?」の「感性」に賛成です。「感性」に賛成ですので、列挙された各項目のすべてに賛成ではありません。個々には異なる見解も持っています。しかし、それはそう大きな対立要素ではないと思っています。ですから「感性」に賛成です。敢えて言えば、経済問題への「感想」も述べていただきたかった。
さて、他方、6月8日付「京都の自治労連組合員」さんの「有事法案、各紙の論調は賛成が多数派」に対しての6月10日付「長壁満子」さんの「有事法案には、絶対反対です」という投稿の政治分岐の手法には反対です。
「京都の自治労連組合員」さんがどのような政治主張をされてみえるか詳細には知りませんが、6月8日の投稿を読む限り「あって当然の疑問」「あって当然の批判」としか思えません。わたしもそう思うということではなく「あって当然」で受け止めるべき意見であり、こういう「危惧」や「批判」も含めて多数派を形成すべきと考えるものです。
しかし、長壁さんはそれを「純粋右翼」であるとか「日本共産党と社民党が、今回の有事法案に反対していることを認められないといった視点は見過ごすわけにはいかない」と強引に「罵倒」してみえます。わたしは、このような「自分たちだけが正しいかのような独善性」に反対するものです。
長壁さんの「感性」にとっては売り言葉に買い言葉かもしれませんが、「約束を破った日本、過去、現在、罪業の限りを尽くしている日本の横柄な態度に、よくも、今まで、核、ミサイルを九州かどこかに実際とばさなかったか」「拉致帰国者をいったん返すこと」などと言う独善的な発言は糾弾されるべきであり、多数の国民を「敵」に回す発言として撤回されなければなりません。
長壁さんが「有事法案」に反対であることを問題としているのではありません。そう主張されることは結構です。わたしもそう考えたいと思っています。ですが、いま様々な状況の中で、「京都の自治労連組合員」さんが言うような「危惧」を多くの国民が抱いているときに、その「危惧」に対して「日本の過去現在の罪業」を対抗させて無視し、そのような「危惧」からくる発言を「右翼」であるかのように罵倒し、結果として少数派へと革新勢力を追い込んでいくことに反対です。
戦前の共産党員や左翼活動家は立派だったかもしれませんが、専制国家であったという制約下だったとしても多数の国民とともに日本を変革できなかったのです。そういうのは共産主義教、左翼教なのだとわたしは思います。この厳しい批判は、かなりの民主主義が保障されている今、わたしたちにも一層の重みをもって問われていることだと思います。勿論、わたしにもです。
あらためて言います。
「しんぶん白旗」さんの「右翼って何?左翼って何?」の「感性」こそ国民の多数派であり、この多数派としての変革を実現してゆくことこそ重要です。
そしてそれは決して「俗論」でも「右翼」でも「反動」でもありません。
むしろ、長壁さんの欲する変革の理性的な部分を準備して行くものだと思います。
この多数派としての変革に、共産党や新社会党、社民党や民主党、自由党そして市民団体、市民そのもの、わたし自身が、どのように合流してゆくのかが最重要の課題と考え提起し続けているものです。
PS.共産党が赤旗紙上で札幌市長選での独自候補擁立を自己批判。歓迎したいと思います。