「対話と圧力」が、市民権を得たのか、しんぶんで、テレビで頻繁にかたられます。例のグループの方々が、発祥の地であるようで、共産党の市田書記局長まで、テレビで、「強力な対話を」と、意味不明なことを口走ってました。
そもそも、対話というのは、人間どうしの間でおこなわれます。会話もそうですが、さらに、深い。まず、同列に対面し、信頼がなければなりません。
ですから、圧力とは、対立します。圧力=物体が物体をおす。押さえつける力。人間に使うときは、圧力をかける。すなわち、脅し、威嚇といった意味でつかわれます。殺すためにでなく、脅すためにつかわれます。つまり、どう考えても、正常でない。ヤクザまがいの言葉です。なのに、相反する二つの言語を平気で並べて、涼しい顔。
ブッシュ言語が入ってきて以来、日本語が、どんどん、歪曲されていきます。自覚無自覚いずれかしりませんが、顔から火がでるような言語がとびかっています。
そうとう、意識を清明にしていないと、このリピートに幻惑されます。
このさざ波討論をみていても、浅い表層のみに固執する、会話?がみうけられます。本質論でなく、たまたま、浮かび上がった、沫や飛沫に大騒ぎ。何おかいわんやです。
ところで、北朝鮮は、いよいよ、追い詰められていきます。対話というのは、一切なしに・・今までだって、一度もなかったのではないでしょうか。
「北朝鮮を侵さないでください」と、米国に哀願しても、無視、「核はおれたちがもってやるから、お前はもたなくていい」と、ヤクザの恫喝がつづきます。チンピラジャパンは、「そうだ、そうだ」と、尻馬にのって大騒ぎです。
ここまで堕ちてしまうと、はいあがるのは、相当困難ですね。最近、私は、対話する相手に不足するようになりました。
私にたいして、少々、質問や、反論、非難がきているようですが、ちょっとまってくださいね。今、討論する言葉がうまくでてきません。